演出家・原田一樹の仕事
| 新たな正統派演劇を目指して | 「演劇タイムズ」取材より

演出家・原田一樹の仕事

七字英輔氏(演劇評論家)

 日本の演出家の中でも、原田一樹ほど異色で多彩な活動を行なっている者は、そうはいない。埼玉県川口市に本拠をもつ自劇団「キンダースペース」がほぼ一年に一回のペースで行なう東京での公演(勿論、本拠での公演はそれに倍する)の他に、市川夏江が主宰する「方の会」や、フランスの劇作家ギィ・フォアシィの作品を専門に上演している「ギィ・フォアシィ・シアター」の演出も手がけ、最近では俳優座以外でも、音楽座ミュージカルやNLTの喜劇演出も行なう。
 その一方で、地域を代表する演劇人として、96年に彩の国さいたま芸術劇場から委嘱されて「彩の国・秋の舞台芸術祭」(総合プロデューサー・鈴木忠志)にユージン・オニール作『皇帝ジョーンズ』を翻案した『神の庭園』(鳥越くろう作)を出し、98年には鈴木が芸術総監督を務める静岡県舞台芸術センター(SPAC)主催の野外劇場「有度」開場記念公演で榊原政常作『しんしゃく源氏物語』をSPACの俳優で上演している。(この舞台は、昨年、北京で開かれた第九回BeSeTo演劇祭に日本の代表作品として参加した)。さらにいえば、財団法人地域創造が全国七ホールと共同で製作した01年の「公共ホールネットワーク事業」では、三島由紀夫作『サド公爵夫人』を鈴木監督の下で演出した。
 だが、私が原田の仕事を「異色で多彩」と評するのは、そうした場所(ないし劇場)を問わない活動歴のためばかりではない。例えば『しんしゃく源氏物語』や、この三月にその再演を第一部に置いた『千年のものがたり』(SPAC公演)の第二部として静岡芸術劇場で上演された同じ榊原作『異本・竹取物語』も、早くに「方の会」で原田によって演出されているものだ。オニールの『皇帝ジョーンズ』も、原田の翻案台本『逃げ去る恋』として、川口のアトリエでそれまでも上演されてきた。榊原の両作は五、六○年代には高校演劇などで盛んに上演されたものだが、原田が取り上げるまではまったく等閑に付されていたものだし、オニール作の方も、67年に自由劇場で上演されて以来、上演の話はたえて聞かない。
 同様に、俳優座ラボが原田演出で上演したサマセット・モーム作『アーズリー家の三姉妹』(00年)も66年の民芸上演(報いられたもの)以来だったし、『夜の来訪者』でも名高いプリィストリー作『危険な曲り角』(01年)も、近年では劇団京が上演したのを知るのみである。NLTでの岸田国士作『明日は天気』『可児君の面会日』などもあって、過去の作品に光を当てる作業において、原田ほど多彩を極める演出家はない、といっていい。その意味で最近、特に注目されたのが、キンダースペースが三年間に亘って取り組んできたギリシャ悲劇の棹尾に当たる『えれくとら』(02年、シアターX)である。これはやはりまったく上演を見ないオニールの『喪服の似合うエレクトラ』(常田景子訳)をテキストに、完全に上演すれば数時間はかかろうというのを、原田が二時間強という構成にし直したものだった。南北戦争直後のアメリカ東部の港町を舞台にした肉親の愛情からまる家族の劇。凱旋した父親の将軍を母親とその愛人に殺されて、姉弟が復讐を果たすのはギリシャ悲劇と同じだが、細部は勿論、大きく異なる。「正義」と「復讐」という観念がどこから生まれ、いかに人間を狂わせるかという、まさに今日的なテーマが、十九世紀アメリカの因習的社会を舞台に展開されていく。
 さいたま芸術劇場の舞台の中央に大きな四角い切り穴を設け、十数人にものぼる俳優にその周りを機械体操のように動き回らせた『神の庭園』や、一面に広がる茶畑の中に朽ちかけた四阿(あずまや)と廻廊を置き、そこに住む末摘花の悲喜劇を男優ばかりに演じさせたSPAC版『しんしゃく源氏物語』の様式的な演出は、ここにはない。あくまでもリアリズムに徹した舞台。様式性とリアリズム……その演出の幅も原田演出の魅力のひとつといえるかも知れない。
 俳優座による今回の『九番目のラオ・ジウ』は、昨年物故したシンガポールの郭宝昆(クオ・パオ・クン)の作。三年前にはインドの劇団ヴィヴァディがアヌラダ・カプール演出でみごとな舞台を見せてくれている。初めてアジアの戯曲に挑む原田は、はたしてどんな舞台に仕上げてみせるだろうか?

  俳優座発行 「コメディアン3月号」より



新たな正統派演劇を目指して

江原吉博氏(演劇評論家)

 ここで取り上げておきたいのは、「小劇場ブーム」「静かな演劇」と続く流れのかたわらで、距離を保って独自の道を開拓してきた劇作・演出家である。
 派手な表舞台にこそ登場しないが、せりふの緻密な掘り下げによってけれんみのない堅実な舞台作りをつづけ、昨今とみに評価の高い若手演出家に、劇団キンダースペースの原田一樹と文学座の高瀬久男がいる。自分の劇団を持つ原田にしても、八○年に青年座の鈴木完一郎のもとで演劇活動を開始したことが示すように、もともと新劇畑の人である。身体性や儀式よりも役の内面にこだわる演出は、二人ともに共通している。彼らの場合、内面のドラマが一貫して緊密に作られなければ舞台はみすぼらしいものになりかねない。
 原田一樹の演出作では、近いところで俳優座LABO公演「アーズリー家の三姉妹」が記憶に新しい。そこでは、わずかな年齢差の三姉妹の間にも確実に存在する、対男性観、結婚観のずれが明瞭に描出され、作者モームの表そうとしていた、近代市民社会のモラルと家族の崩壊がきっちりと表現されていた。原田の緊密な内面性の描写については、ザ・スズナリで「部屋=ROOM」を見たときの強烈な印象がいまだに忘れられない。微小な細部にまでこだわって、徹底してリアルで粘り強い演出は粗雑な演技演出が氾濫していた当時の小劇場界にあっては、むしろ無気味にさえ思われた。地域創造のネットワーク事業として、目下「サド公爵夫人」が、全国七都市を巡回中である。機会があれば、是非見てみたい。

 《中略》

 正当派演劇の確立。それは二十一世紀の日本演劇に是非ともなくてはならないものである。彼ら若手演出家に寄せる期待はきわめて大きい。

  テアトロ 2001年5月号 より



俳優である前に、演劇人たれ!

演劇タイムズ〜見たい!知りたい!演劇業界!より

 日本で活動している劇団は数限りなくあります。しかし、そのほとんどが一般に知
られていないのが現状です。日本の演劇業界が、他のエンタテイメント業界、アート
業界に比べ、マイナーであり続けているには、必ず、明確な問題があるはず―――。

このコラムでは、現在活躍している劇団に取材し、劇団の現状やそれぞれが抱えてい
る問題点、演劇全体が広く社会に認識されるにはどうしたらいいのかなどのテーマを
共に考え、演劇の魅力をより多くの方々へ知っていただくための方法を考察してゆき
ます。

第22回目の今回は、「劇団キンダースペース」です。

●劇団キンダースペース
1985年、リアリズムを主体にオリジナル演劇の製作と上演という目的をもって、代表の
原田一樹を中心に結成。1988年、アトリエを開設。1990年よりアトリエ公演を開始。
同時にワークショップも開催、地元での活動も展開している。

1996年よりは地域の小劇場劇団の自覚を持ち、演劇それ自体の普及と地元一般市
民との交流を目的に、ひと月半に1度のペースでワークショップをアトリエにて開
催。これまでにおよそ350名が参加している。  

能登演劇堂では町民劇団の結成から本年度の第五回公演まで、嬉野町ふるさと会館で
は第二回公演まで、企画・演出、また2003年、佐世保市100周年記念事業として120名
の町民とともに市民ミュージカルの立ち上げを主導、実現した。


●代表の原田一樹さんにお話を伺いました

キンダースペースは、アトリエにおける創作活動をする一方、作家・演出家・舞台ス
タッフの育成や俳優訓練のためのエクササイズ、地域の公共ホールでのワークショッ
プ、市民劇団立ち上げの指導などなど、より多くの地域の人々と演劇を共有するため
の楽しんで頂くための交流活動を活発に行っています。

そこで、キンダースペースの考えるワークショップとは何か?地域に演劇ワークショ
ップを行うようになったきっかけや、その意義を、劇団の代表でもあり、作・演出を
手がける原田一樹(はらだ・かずき)さんにお聞きしました。


Q・地方での市民劇団の立ち上げに多く立ち会っていらっしゃいますが、こういった
  活動のきっかけは何ですか?

――――人との繋がりですね。
石川県中島町の町民劇団は、もう6年続いてるんですが、人口の少ない、映画館もないような町にすごくいいホールが出来たんですよ。で、そこで無名塾のロングラン公演が始まったんです。また、同時期に地元の高校に演劇コースを作ろうという動きが高まったり、町民劇団を立ち上げたり、全てが同時に動いたんです。

ホールの側の自覚もあって、民間と行政とで一緒に力をあわせて演劇を進めてゆこうというスタイルが機能し始めたんですね。ホールの担当者が、一番先に演劇人の側から考えはじめたと言うか、意識を持って動き出したことで、僕らもそこに動かされていったという感じですね。



Q・そういった地域演劇に携わる意義は何ですか?

――――地方じゃ、演劇よりもミュージカルが多いでしょ。簡単に人も集まるし、何より歌ったり踊ったりすること自体が楽しいし。でもね、それだけじゃ良くなくて、僕達が経験したことはどういうことなのか、演劇というものは何なのか、演技をするということは他人になること、他人になるということは他人の目で何かを見ること、で、君は違ったものが見えたのか?君は違う世界を感じられたのか?他人になって、普段あまり持たない想像力をそこで使ったのかっていうことを、演劇を作っていく過程で確認してゆくことが大切だと思うんですよ。
そうすることで、世の中や自分の周りに対する興味が出てきたり、自分の中でも色んな発見があって、豊かになってゆけるんですよね。

スポーツの場合にもそういう面がすごくあるし、色んなものが発見されたりするんだけど、スポーツって選手になっちゃうんですよね。選ばれた人になっちゃう。演劇の場合は、一言しか台詞がなくても、一本の作品に参加することで、そういうことに気づけるし、通行人の役だけでも、そのシーンを稽古するためにはその人がいないとできない。全員が必要。

100mを15秒で走れるやつも1分かかるやつも両方必要だっていうのが演劇のいいところで、そういうことをお互いに確認しながらやってゆくことに意義があるんじゃないかな。

これは、僕らにも非常に役に立つんですよね。


Q・というと、ご自分の劇団にどういう影響がありますか?

――――具体的に言うと、役者が自分のことを客観的に見られるようになった。
例えば、子どもの相手役をやるときに、自分の芝居が大事じゃなくなるんですよね。自分の芝居よりも、相手が台詞を言うにはどうしたらいいのか、相手から台詞を引き出すにはどう言葉を与えた方が相手に届くのか。全体を見ながら自分の居場所をちゃんと意識できる。

そういうことが成長しますよ。だいたいね、「自分は役者だ!」ってい言ってるやつは“役者バカ”で、“役者バカ”と“バカ役者”は紙一重でね、まずは演劇のことを知らなくちゃ駄目なんですよ。演劇とは何なんだ、僕らが何をやっているのかわからなくて、ただ楽しいからやってるだけじゃ、結局苦しくなって、早々と辞めちゃうんですよ。

だから、演劇活動という自負を持てと、演劇人としての知識、智恵を持たなくて「役者だ役者だ」って言っても仕方ないんです。
演劇的な智恵って言うのはワークショップを指導することが出来たり、他人に伝えられて初めて智恵と呼べるのであって、自分でこうやると格好よく見えるなっていうのとは別なものじゃないですか。

実際、そういうことで、ちゃんと生活ができるようになれば、決して演劇人として悪いことじゃないし、俳優として悪いことではない。ティーチングプロになれと言ってるのではなくて、演劇のことをもっともっと知れと、そのことで使ってもらえる場があるのであれば、それは演劇人として世の中に必要とされているということだと思うんです。


Q・そうやって本当の演劇人が増えてゆけば、もっと発言できる場が増えてゆきます
  よね。

――――そう。だから、今若い劇団もいろんなワークショップをやってるけど、ただ楽しいだけじゃなくて、ちゃんと意識を持ってやってほしい。そして、演劇人としての言葉を持って、それを行政や一般にも訴えてゆくエネルギーを持って欲しい。

ホールを使って、市民劇団の発表会をやろうとすると、「いつも使ってるコーラスグループが使うから、前日は空けてくれ」とか、「本番の午前中はホールを空けてくれ」なんていうところもあるんですよ。「クラシックの人はバイオリンだけ持ってきて、一人で手軽に1ステージやってくれたけど、演劇はどうしてやってくれないんだ」とかね。
でも、演劇に関わっていない人には、そういうことが分からない人はいんですよ。そういう人たちに、ちゃんと訴えてゆける演劇人にならないと。
      
それ以前に、演劇人としても演劇のことを知らない人たちが非常に多いように思います。チェーホフを知らないなんて可愛い方で、シェイクスピアすら知らない若い劇団があるくらいですから。自分たちの友達に見せて、それで満足してるんじゃないかと思ってしまう。そういうところでも、もし、助成金をもらうようになれば、それは国の税金をもらって演劇活動をしていることになるわけですから、演劇人としての公共性を問われているということです。自分たちのしていることがどういうことなのか、自ら分析して語れる言葉を持って欲しいですよね。


Q・こういったワークショップを継続してやってゆくためには、やはり経営の問題は
  はずせないと思うのですが…。

――――苦しいですよ。不動産は借りるもんじゃないですね(笑)
公演赤字に対する助成よりも、場所を持ってることに助成してくれるといいのに。アトリエを持って、その場所でこれだけの実績を上げた、とかいうのに対して、じゃ、この先10年間家賃を持ちましょうとかね。

平田オリザさんなんか、アゴラで画期的なことやってるでしょ?レンタル料を取るんじゃなくて、逆に制作費を出してくれる。ああいうことを、もっと全体でやらなきゃ駄目だよね。どうせ助成金を出すなら、不動産屋に家賃を払うために頑張るんじゃなくて、純粋に芸術のために頑張れる環境を作るための助成をしてくれるとね。

そして、若い劇団がそういうことをもっと訴える理屈とエネルギーを持たないといけないんです。稽古場だってホールだって、お金出せばどこだって借りられる。赤字も自分たちで背負ってるわけだから、何をやってもいいだろう、っていう無責任が生まれてきちゃう。でも、それじゃ芸術性なんか高まらないし、客観的な蓄積も持てない。公共性だって自覚できないですよね。



インタビューの中で、「演劇という芸術を創るということと、演劇の豊かさを伝える
ということを切り離して考えなければいけない」「俳優である前に、演劇人であれ」
と、原田さんは何度も強調しておっしゃいました。

クリエイターとして芸術性を高めるために生きることは当然ですが、「なぜ人々は演
劇という嘘の世界を求めるのか?」、「なぜ演劇が世の中に必要なのか?」というこ
とを考え、伝えてゆく「演劇人」として生きることも必要です。これをごちゃまぜに
してしまうと、自分の芸術性だけをただ押し付けることになってしまうし、何より
も、演劇そのものの良さが失われていってしまうでしょう。

「自分は役者だ!」と胸を突き出す人はゴマンといます。
しかし、「自分は演劇人だ!」と胸を張れる人は、どれだけいるのでしょうか――?

(構成・文/O)

 

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