舞台で俳優が表現すべき「何か」をドラマの中に探すワークショップです。 一年以上の演技、演出、舞台経験者を対象 |
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Vol.24 『私へ』 5/28(金) 30(日) 31(月) 6/2(水) 3(木) 4(金) 6(日) 7(月) (8日間) |
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戯曲に書かれている「わたし」とは、どのような存在であるのか。作家はどのように 「わたし」を造形しているのか。このことについて考えを重ねていくことは、単に俳優が与えられた役について考えるということ以上の意味を持っています。人がそこに存在するということの確かさは、どれだけの深みからその不確かさへの疑いを抱けるかに尽きると言うことも出来ます。そして、これはそのまま俳優の舞台での存在感といったものに重なっ てもいきます。 戯曲として書かれたものの中にも、例えばシェークスピアのマクベスやハムレットなど「わたし」という存在の不確かさと対面することにドラマ性を持っているものが少なくありません。役作りの上で、俳優が自分に分け入っていく行為と、役を捕らえていく行為を重ねつつ、いくつかの作品にあたっていきます。 |
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Vol.25 『彼方へ』 9/29(水) 30(木) 10/1(金) 4(月) 5(火) 6(水) 8(金) 10(日) (8日間) |
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ここではないどこかに本当の何かが存在する、という考えや、ここではないどこかに向かうのだという意志は、戯曲に限らず多くの物語のモチーフとなっています。人は多くの幻想というものを抱え、また新たな幻想を次々と必要とする生きものであるが故に、こういった観念が観客のなかにある種のイメージを喚起するのです。 では、舞台の上で「ここではないどこか」は、どのように立ち現われるのでしょうか。ドラマが人の心を動かす力は、多くこの立ち現われ方の切実さにかかっています。そして、 いうまでもなく、この切実さを作り上げるのは俳優の仕事であり、観客は舞台で俳優によっ て演じられる役の人物をみて、逆に幻想の側から人間というものの存在の仕方を知るのです。チェーホフの作品などを通して、幻想を必要とする人間の存在の不確かさを見てゆきます。 |
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Vol.26『他者へ』 11/15(月) 17(水) 19(金) 21(日) 22(月) 24(水) 26(金) 28(日) (8日間) |
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現実の世の中において人が世界というものを獲得していくという行為は、自分以外の存在、つまり他者と出会っていくという行為に他なりません。これは、戯曲世界において俳優が役をとらえ創造していく時にも同じ事です。俳優は自らの役をただその行為や意志をなぞることにおいて作るのではなく、戯曲の中に描かれた他者との関係において捕まえなくてはなりません。逆に言えば、この関係こそが人を規定するのです。ここで言う他者とは、もちろん他人だけではありません。実際に外部に存在してその人物の意識に上がるすべて、また、その人物のもつ願望や不安、見えない圧迫や将来への意志までもが他者としてその人物を作るのです。 どのような他者との関係のなかにその人物が居て、どのような他者への働きかけのなかにその人物のドラマが成立しているか、役をとらえていくにあたってこれらをどれだけ広く深く捕まえ造形のなかにとりこめるかに、そのフィクションの存在としての完成度もかかっています。近代のリアリズム演劇や現代劇のなかに個と他者との関係をとらえ、劇的な存在を探っていきます。 |
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時間:19:00〜22:00 費用:\21,000 定員:12名 |
「からだ」というのは、演劇的な言い方をした場合、単純に身体という意味ではありません。心の動き、空間や誰か他人との関係がどのように「動くこと」や「静止すること」に結びついているかです。こういう関係を意識してある場所に立つためには、まず自分のからだのメカニズムを意識して、動いたり、演じたり、表現をしたりすることです。その感覚をとらえることは、同時にその楽しさを知ることでもあります。鍛える必要はありません、まず感じることから始め、関係を紡ぎだす様々なルールによるゲーム等を通して戯曲と戯曲以外の「演劇」を楽しむことから始めましょう。 |
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8/23(月) 24(火) 25(水) 27(金) 28(土) 29(日) (6日間) 時間/14:00〜16:30 費用/一般\9,000 中学生・高校生\5,000 定員12名 |
申し込み方法 郵便番号・住所・氏名・電話番号・FAX番号・年齢・性別・職業・所属・ 実施会場:劇団キンダースペースアトリエ |
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