|
・
今回もあっという間の40分間でした。芝居を観させて頂く事で、より知る事が出来、平和への想いが深まり、とても良い機会となりました。(50代)
|
・
素晴らしかったです。時間のたつのを忘れました。胸が詰まる思いで観ていました。心にストレートに響きました。
これからも貴館でなければ出来ない、このような企画を続けて下さい 。ありがとうございました。(60代)
|
・
私達は戦争というものを体験していないから、一人芝居を観て、こういう風な形で、今まであったことを知って、二度と戦争を繰り返さないようにしなければいけないと、改めて思いました。すごく勉強になりました。(20代)
|
・
瀬田さんの一人芝居は、引き続き来年も上演して頂きたいです。(40代)
|
・
瀬田ひろ美さんの一人芝居素晴らしかったです。また機会があれば、是非来たいです。(60代) |
・
瀬田ひろ美さんの一人芝居を、新宿住友ビル48階の平和祈念資料館で午後2時から観せてもらった。
終戦後の満州で、夫が行方不明の中、我が子を守りながら、難民孤児への救済にも力を尽くした一人の女性、江頭ふみ子さん。(結婚後は野島だったはずだけど……)
彼女の手記をもとに瀬田さんが作られたのだろう。一人の女性の語りの形で40分の芝居に作られていた。はしかで亡くした娘のこと、使用人の中国人たちの優しさ、青酸カリをめぐる悲惨なエピソード、孤児たちのシラミのひどかったこと…………最後、日本に帰ってから孤児たちに2回しか会いに行けなかったくだりなどには胸がつまってしまった。
迫力のある一人芝居だった。
ギターも音響も何の邪魔にもならず、その存在を忘れるくらいだった。小道具は風呂敷包みのみ。黒く塗られた椅子などが並べられているだけの小さな舞台。その中で瀬田さんがとても大きく見えてならなかった。
今回はもうこれを観せてもらっただけで、もう広島に帰ってもいいような気分になっている。
|
・
銀座の画材屋さんに行った足で、瀬田ひろ美さんの一人芝居を観に平和祈念展示資料館(新宿 住友ビル48階)へ。
出兵した夫を満州で待ち続けた女性の手記が原作でした。
ひろ美さんの張りのある落ち着いた声が「私は」と、登場人物の自己紹介をはじめると、私も70数年前に引き込まれ、満州で助け合って生きた異国の人たちに「会いたい」とうったえる声と、最後の「父さんはとうとう帰ってきませんでした」という言葉に、登場人物と一緒に生きている今のことを思わされました。
|
・
きのう平和祈念展示資料館(新宿住友ビル)で、「父さんはとうとう帰って来ませんでした」(原作:江頭ふみ子)の一人芝居を観ました。演じるのなは劇団キンダースペースの瀬田ひろ美さん、初演です。
第二次世界大戦の中国東北部(満州)で行方のわからない夫の無事を信じ、ソ連侵攻後わが子を守りながら、難民孤児の救済に力を尽くした一人の女性の姿を、瀬田さんは演じきりました。下梶谷さんのギターは芝居にすっかりとけ込んでいました。語りでは孤児の表情も、その別れの無念さも観せていただきました。
写真はステージに投影されたもの、原作者の短歌「想い出は遠く果てなく 吾亦紅の花に似て 儚きは吾亦紅の紅〈くれない〉の色か」ー敗戦から50年近く書かれた手記に、若き夫の消えゆくイメージを重ねているように思えました。
|
・
辛い、きつい感情を強く表現するのでなく
優しく時には笑顔で伝える瀬田さんのお芝居は
まるでご本人が、
辛い時代を生き抜いた強い女性がここにいて語っているようでした。
当たり前の日常があると信じていた普通の人々の体験したたくさんの
「え?」
という日常が奪われる瞬間が、
女性にとっての戦争だったのかもしれないなと思いました。
ギターとのコラボも良かったです。
音色が甘すぎず、冷たすぎず
物語に美しく寄り添っていました。
|
・
瀬田ひろ美さんの一人芝居、堪能させていただきました。全く贅沢なことです。あのスペースで、限られた人数で、瀬田さんの肉声と、時には呼吸や心臓の鼓動まで聞こえそうな距離で、彼女の演じて見せる一人の女性の心の景色を共有できたのですから。過酷な歴史の割れ目に身動きもできなくなった一人の女性の体験を通して呼びかける瀬田さんの平和希求の声だったと感じました。感動は観客に任せて、御自分はひたすら役になりきっての演技にも。
一緒にいた娘も喜んでいました。「構成がすばらしかったよね。」「すっきり整理されて、それなのに自然な場のつながりで」などと二人で話し合いながら余韻を楽しんで帰路につきました。
|
・
赤紙一枚で、生活の全てが狂っていく。そんな世の中にしてはいけないと、心から思いました。戦争はなんと理不尽なことか。と
最後の瀬田さんの間で陥落。私の涙腺。
|