劇団キンダースペース レパートリーシアター Vol.53 k #102
『幸福』『山月記』『木乃伊』『ある生活』『かめれおん日記』他より……
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◆劇団キンダースペース「短編演劇アンソロジー拾 「中島敦・光と風の彼方へ」(構成・脚本・演出=原田一樹)@西川口・キンダースペースアトリエ。
▼これまで太宰治、芥川龍之介、志賀直哉、坂口安吾、小泉八雲などを取り上げてきたアンソロジーシリーズの最新作。
▼事前の情報を整理していなかったので、単なる中島敦作品の朗読劇なのかと思っていたが、大間違い。中島作品をモチーフにしたオリジナル作品だった。
▼古代中国、紀元前オリエント、満州、京城、南洋諸島などを舞台背景に時空を超えた中島敦の作品群から、「ある生活」「悟浄出世」「幸福」「無題」「山月記」を取り上げた。
▼白眉はやはり「山月記」。中学の時にNHK教育テレビの通信教育講座「現代国語」で取り上げていてアナウンサーの朗読にいたく心を惹かれた。
それは「臆病な自尊心」というフレーズが当時の自分の心に衝撃を与えたからだ。今にして思えば中学生にありがちな自尊心との葛藤だった。
▼その臆病な自尊心のために時折、虎に変身する李徴を名乗る男(洲本大輔)が収用されている鉄格子のある病院の一室。彼を治療する男(医師?=藤澤壮嗣)。しかし、男もまた心身に深いトラウマを抱えている。李徴はどっちか。彼らを見つめる女医(瀬田ひろ美)。
個に内在するアイデンティティーの不安、自己存在理由…。中島敦が文学で表現しようとした人間存在の内奥を舞台として描いた原田一樹。
洲本は劇団昴、藤澤は劇団桟敷童子。どちらもなじみはなかったが、実に魅力的な俳優で、作品に資している。
▼「私たちは私たちが思うほど私ではない」
「山月記」で女医が言う言葉。その呪文こそ科学と進歩こそが最善というドグマにとらわれた我々を解放する言葉なのかもしれない。
▼ほかに福田治(方の会)、榊原奈緒子、岡田千咲、西本亜美、松井結起子。
(演劇ジャーナリスト 山田勝仁様)
・うどん屋さん前でポスターを見かけました。まず、はじめての小劇場に緊張です。しかし、まどなり、めのまえで繰り広げられる迫力。いいものですね!息遣いひとつ瞬きひとつまで感じられました。中島敦の人間性に肉薄、分析して到達された近代劇だと感じました。圧倒されました。怒涛のアンソロジー的演出によって、中島敦作品に一貫された抽象的な理念が浮き彫りにされたんだと思います。短編間の移行が小気味よく、違和感なく没入できたことに、今更ながら驚いております。演出、演技の為す技なのでしょうか。
自我と、世界と、その往還。
ーー私は私が思うほど、私ではない。
ーー世界は理解されるためにあるのではない。
分析を前提とする近代劇で、分析を拒否する中島敦の定言をどう演出するか。ひとつの方法をみました。
自分が山月記を扱うときも、そのたびに、中島敦と李徴との関係性には悩まされます。 作品論と作者論を、自分はできるだけ分けたいタチなのですが、いや、それにしても……と悩まされます。中島だけでなく、明治の文豪たちの壮大な問いかけーー自我と世界と作品の関係ーーに、最近は僕自身が答えを出すことをあきらめ、みんなと思い悩むことをゴールにしていますが、いや、それにしても。 考えずにはいられません。
構成・脚本・演出の原田さんによるアフタートークも興味深いものでした。 山月記が発表された『文學界』が開戦特集号だったとは。
数々の名だたる文豪が開戦を、残念ながら寿ぐ中に、山月記。強い意味を感じまた。近代が近代に終焉を終わらせうることが、実感される当時と、今。改めてしっかり読み直す価値が認識させられました。
観劇以来、中島の残した問いに頭がぐるぐるしています。素敵な体験をありがとうございました。
西川口にこのような文化の場があることをありがたく思います。(横山大基様)
・中島敦は、松本清張・太宰治・大岡昇平・埴谷雄高といった現代日本文学を代表する作家と同じ1909年(明治42年)の生まれです。そのなかで一番短命 なのが中島敦で作品数も少ないのですが、それらをいくつかのフェーズ(様相・局面)にわけてその思想と人生をドラマ化したのが今回のお芝居といえるでしょう。原田さんは近代の行き詰まりから脱する手立てを中島作品 から読み解こうとしたと語っています。まずはこの作家をとりあげて、誠実にむき合った姿勢を評価したい、と思います。
前作「新・復活」では、トルストイの原作に島村抱月・松井須磨子の話を入れ子のようにして立体感のある芝居になりましたが、同時にカチューシャ役の古木さんの熱演と抱月の妻役の瀬田さんの抑えた演技によって成功したといえます。今回は客演ということもあって、ご苦労もあったと思いますが、また違った役者さんの演技が見ることができました。
中島敦の有名な作品から掌編・断片まで読み込んで、原田氏一流の改変・ドラマ化の手法に並々ならぬ創造性と深い問題意識を感じました。(牧子嘉丸様)
・作品を理解するというより、感覚で掴まえる……舞台でした。それが心地良く夢幻能の世界観をみた気がいたします。劇場の大きさといい、舞台美術も美しく見応えがありました。演者の皆さまの作品に向き合う姿勢、瀬田さんの円熟された芝居、声が届く、芯に響きました。上質な脚本、舞台を見させていただき学ばせていただきました。(平山八重様)
・高校の国語の授業で読んだことのある「山月記」。この舞台では、その作品の粗筋を語るのではありません。数々の作品を通して中島敦の実像に迫るのです。「山月記」を読んだことがあれば、「虎」になった李徴が中島敦自身であることを深く知る助けになるかも知れません。それにしてもかなり重く、演劇らしい作品。初日でしたがどの俳優も熱演、特に松井結起子,個性が浮き出ていました。(佐藤文俊様)
・短編演劇アンソロジーという事で、シンプルに何本かのお話が順番に演じられるのかなと思っていたら、お話の繋がれ方が何とも美しくて、観終わった時にはずっと不思議な夢の中にいたような気分になりました。作品の世界に引き込まれっぱなしでした。凄かった… 衣装もとても素敵で眼福でした。エキゾチックな衣装、好きなんです…!! 中島敦作品は山月記しか知らなかったのですが、こんなに幅広い世界観の作品があるんですね。
「私は私が思うほど私ではない」という言葉。
自意識というテーマ。自分を省みた時に『囚われ過ぎていたかもしれないな』と思い、少し心が軽くなって帰りました。(Y.N.様)
・中島敦に関しての事前勉強が必要でした。特に中島敦が1942年のデビュー作、山月記は、私が知る限り、虎になるという変身願望とも言える病的要因には、臆病な自尊心と尊大な羞恥心にはなかなか抵抗し難いものだが、それらを因子とした人生の失敗を、経験と捉えながら人は成長していくみたいな、一種の教訓、例え話かと勝手に考えていたが、4つのフェーズを先に連続で観ていたら、成る程そうかと推察するまでには、頭がかなり混乱したのも事実。もしかして、原田一樹氏ワールドに入り込んだのかも知れない…。
しかし、俳優陣の素晴らしい熱演に、圧倒され、異国情緒溢れる舞台の演出にもつられて、頭が混乱したまま、あっと言う間に2時間が過ぎました。(小野寺敏子様)
・アトリエ公演の楽しみの一つは舞台装置、シンプルではあるが作品の世界に没入しやすい!照明の光と影も効果的でした。
今回の中島敦の作品は、哲学的な内容に凡人の自分には理解が難しいところ、演出家の原田さんの構成・脚本によって、面白く作品が繋がっているのですが…。錯綜して最後の台詞で我に帰った…「改めてお帰りなさい」(石井信生様)
・5本のお話、それぞれの世界を楽しめました。特に女学生との会話は、教員時代の数年間、女学生に圧倒され、とまどったりドキドキしたりしたんだろうな、と思えて、こんなこともその後創作する作品に影響を与えたのかな~などと思いながら見ていました。また、「幸福」。立場が逆転するということなんでしょうか。非常に興味深かったです。「山月記」は中島自身の、作品を上手く想像できないいらだちと苦悩を描いているのかなと思いました。これをきっかけに中島敦を読んでみようと思います。(田辺凌鶴様)
・近年の世界情勢の変化、デジタル化の急速な進化で不安を感じずに生きている人はいないと思われる中、自分自身の内面についても考えさせられる内容だった。役者さん達の力強い演技に圧倒されました。西川口にこのような場があって良かったと思います。(M.I.様)
・「私は、私が思うほど私ではない」
この言葉と、ファンタジーな中島敦さんの原体験と世界観を組み合わせてみると、台詞だけを理解しないほうが良いと判断しました。台詞は小刻みなリズムと音のように受け取り、寧ろ、激動の時代を生きた中島さんがどうやって自我を保ち続けていたか?中島さんは自己のアイデンティティーを守る為に想像力を駆使していた側面は必ずあったと思ってます。と同時に「日本人とはなんだろうか?」という、日本人として生まれてきた問いかけも感じました。
今後ともキンダースペースさんの太く渋い舞台を楽しみにしております。(竹村幸男様)
・近代とどう向き合うか。巨大な問題と切り結んだ作家だったのですね。原田さんのレクチャーに触れ、作家の先見性を思いました。当時の最先端を生きていて、その時代の限界(あるいは人間の不完全さ)をわかってしまったら、著作は空しい仕事だったでしょう。それでも、創作しないではいられない。この、訳のわからなささがこの作家の魅力なのかも知れません。(高瀬修司様)
・異国情緒にあふれ奥行きのある深い世界観で圧倒されて観ていました。「山月記」を教科書で読んだだけだったので、他の作品も読んでみたくなりました。キンダースペースさんを近年しっかり観た事なかったので、本当に丁寧に衣裳や作品の雰囲気を演出される劇団なんだなぁと感心しました。榊原さん、たくさんの役どころを全く別の感じで演じてらして、さすがでした。(50代 女性)
・久しぶりの観劇でした。劇場全体がステージのようで、展開もどんどん変わって、飽きることなく堪能できました。
衣装、小道具の準備、大変だったろうなと思っていましたが、やはり演者さんたちが作ってるのですね。すごいです。(50代 女性)
・短い話の組み合わせだったので、観ている側としては空気感や視点が変わって最後まで観劇できました。演出家がパンフで書いている通り現代への警鐘がテーマとなっていたと思います。おそらく稽古も詰め詰めで腑に落とすのに四苦八苦されたと想像します。特に「山月記」パートは演者も演出家もかなり手探りしつつだったのではないでしょうか。演者目線で観ていたこともあって、俳優のどのような演技がどのように観客に伝わって行くのか、、というのが改めて発見(身に染みて)できました。感謝!(50代 男性)
・目に前で迫力のある演技に引き込まれました!小劇場ならではの贅沢でした。時代も時代で男性が主人公の話だけど、脇を固めるキンダースペースの女性たちが凄くよかった! 役柄も、不幸であっても女強しと言う感じ。エネルギーを沢山いただきました。(40代女性)
・何より、作品が素晴らしく面白かった!! 即「山月記」書いました。脚本も良かったし、役者さんも良かった。奈緒子さんは毎度の事ながら、繊細で奥行き感が素敵でした。台詞だけでは無く、背景や、言葉にした以上の「言わなかった(言うのをやめた)言葉や気持ち」を物語る居住まい!!第一夫人(?)もニコリともしないで、あの気品…怪訝な顔をしながらも美しい所作で淡々と世話を焼く姿!バランスが抜群でした。洲本大輔さんも素晴らしい集中力でした。良かったなぁ。震えた。引き込まれました。総じて随所にハイレベルな作品に感じました。しっかり訓練された役者がキッチリ稽古をして臨む舞台…いいなぁ!…と思いました。(40代女性)
・今回も難しい内容でしたが、トークコーナーが補足となって良かったです。最近「文字って邪魔だな」と感じることがあり、中島敦に興味が湧きました。(40代女性)
・自分の捉えてる世界と世間とのギャップみたいなものが私も身に覚えがあるように感じられて、胸が苦しかったです。幸福は自意識で変わる? 自意識が幸福を定める?とか、自分の置かれてる今は幸福と言えるのか? とかいろいろ考えました。瀬田さん、榊原さんの演技が好きなので、また是非観劇に行きます。(30代女性)
・舞台との距離も近く、俳優さんたちの迫力が直に伝わってきて、惹き込まれました。緊張の中お芝居が始まり、これは誰の物語なのか、そもそも物語なのか、それぞれのパートで繋がりがあるような無いような、でも根底にあるメッセージは同じものなのか、とか色々考えてましたが、途中からは内容やメッセージを理解しようとするよりその場の空気、俳優さんたちの芝居を観てただ楽しむことに集中してました。張り詰めた空間と時間の中、素晴らしいお芝居を観せていただきました。(50代男性)
・中島敦の、命を削るような心の探求のようなものが万華鏡のように立ち現れる様子が面白かったです。
「自分は、自分が思っているほど自分ではない」という言葉、その時々の自分の気持ちの立ち位置によって響き方が違いそうで、是非 心に留めておきたい言葉です(60代女性)
【アンケートより】
・泣きそうです。自分を見ているようで。
・こういうことは起こり得ることだなあと、身近に感じることができた……。トラはいつもいるなあ……と思う。
・藤澤さんのフアンになりました。とても良かったです。
・はじめはコッテリした感じがしていたのだが、どんどん面白くなった! スバラシイ、とても良かった。榊原さんは今日も美しかった。声も良い。
・役者さんの熱を感じて心がふるえました。
・楽しく観劇しました。「無題」での女学生の質問は難題で試されている気にさせられます。「山月記」は精神病棟の設定で新鮮でした。
舞台写真
撮影(人物写真):原田祈吹
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