劇団キンダースペース 第44回本公演

報われし者のために

原作:サマセット・モーム 翻訳・翻案・演出:原田一樹

感想・舞台写真
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演劇ジャーナリスト 山田勝仁氏

 両国・シアターカイで上演中の劇団キンダースペース第44回本公演「報われし者のために」(脚本=サマセット・モーム、翻訳・本案・演出=原田一樹)が実に見応えのある舞台だった。

 これはモームがチェーホフの「三人姉妹」から想を得たとされる戯曲で、第一次世界大戦直後、イギリスの田舎町で弁護士の父親を持つ富裕中流家庭の三姉妹をめぐるドラマだ。

 舞台は英国ケント州の片田舎、弁護士のレナード・アーズレイ(加藤佳男)の邸。母親シャーロット(瀬田ひろ美)、戦地で失明した長男シドニー(川野誠一)、婚約者が戦死した長女イーヴァ(古木杏子)、26歳で独身の三女ロイス(中根瑠理)が暮らしている。

 次女エセル(榊原奈緒子)は農家に嫁いでいるが、夫ハワード(森下高志)は酒に溺れていく。

 一方、夏の間、近くの屋敷を借りて過ごす資産家の老人ウィルフレッド・シダー(狩野謙)がロイスに興味を持ち、囲い者にしようと言い寄るがロイスは頑としてはねつける。ウィルフレッドの妻シダー(松井結起子)は夫の行状を知らない。

 イーヴァはテニスをしに来る元海軍将校のコリー(関戸滉生)に思いを寄せているが、彼の自動車工場は経営不振に陥り、レナードに破産申請を勧められるも彼は受け入れず、ついには

 このように、アーズレイ家の三姉妹はそれぞれに悩みを抱え、それはやがて抜き差しならない悲劇へと転がって行く。

 1970年代に日本のテレビドラマにはチェーホフ劇を換骨奪胎した家族ドラマがいくつかあったように思うが、チェーホフを手本にしたモームの本作もドラマ性が強調されていて起伏に富む。

 女性の自立、不倫、DV、父権といったテーマがちりばめられ、人間ドラマとしても見応えがある。しかし、背景に第一次世界大戦の影があるというのがこの芝居の要諦だろう。

 第一次世界大戦は、軍隊同士の戦いから国民全員が否応なしに参加する「総力戦」へと形が変わった戦争だ。非戦闘員を含めた国民全員に「戦争の大義」への同意を強いたことで、勝っても負けてもその負債は個々の国民に重くのしかかった。

 戦争で目の光を失ったシドニーが言う。「いつかまた声の大きい連中が大いばりで戦争を始めるだろう」と(正確ではないがこんな意味のセリフ)。

 ロイスを囲い者にしようとする資産家老人(50歳を超えてるというセリフがあるので今の時代の老人よりははるかに若く脂ぎっている)は1万ポンド(今の貨幣価値で1億円)でロイスを「買おう」とするのにコリーの200ポンド(200万円)の借金を断る。

 戦争が生み出す社会を描いたもので、厭戦観が漂う。1932年のロンドンでの初演は不入りで、早々に打ち切られたというのは、国民がその厭戦観に反発したのだろう。

 三姉妹とそれを取り巻く人間関係がわかりやすく描かれ、家族を統べることと国家を正義と信じる父を演じた加藤の重厚さ、娘たちを見守りながら最後にある決断をする母役の瀬田の包容力、妻を捨て、若い娘をそそのかす傲岸な資本家の狩野などベテラン勢が舞台を側面から引き締めた。

 思索的な川野シドニー、情熱と狂気の古木イーヴァ、苦渋の決意を自分に課す中根ロイス、夫婦の愛憎に懊悩する榊原エセルと森下ハワード、傲慢と小心が同居する関戸コリー、そして若い娘に夫を取られまいとヒステリックになる松井グエン。

 そんな家族を見守る医師役の林修司の静かな佇まい。なによりも、この舞台の影の主役に違いない小間使いガートルード役の小林もと果の最後の凛然とした演技がいい。

 原田一樹の細部に行き届いた丁寧でメリハリのある演出が舞台に緊張感と深みを与えた。

 奥行きと段差で上に広がる開放的な舞台美術(佐々波雅子)も素晴らしい。



山本洋三氏

木洩れ日抄 103 見えない希望へ──劇団キンダースペースの「報われし者のために」(サマセット・モーム)を観て


夢乃玉堂
 サマセット・モーム「報われし者のために」・・・古典が古典として残る意味を再確認する。


舞台初日を観劇

舞台はイングランドの田舎町、裕福で平穏な日々を送るアーズレイ家

芝居の根底に見える「戦争」の歪みによって生まれる人間模様、女の苦渋、男(父親)のノー天気なところが、現在の我々の姿を映し出している!戦争と無縁とか、知らないなどと言ってられない。(原作/サマセット・モーム 翻訳・翻案・演出/原田一樹 音楽/和田啓)

想像を掻き立てる演技が見どころ。



途中何度も涙が溢れてきました。誰しもが一度は考えることだと思います。ぜひ観ていただきたいです


●#劇団キンダースペース さんの #報われし者のために 観て来ましたー!!!相変わらず一言では言い表せないですが、とにかく観劇後のなんとも言えない後味に全身かきむしりたくなるような凄いお芝居でした!!!本当に適切な言葉が見つからないんですが、虫唾が走るとか、胸糞とかとも違くて、なんかもう人間のどうしようもない部分がぐちゃぐちゃに絡み合ってしまって、それでも一見表面上は普通に暮らしているように見えるところに不穏さがあって、でも次第に綻びがじわじわと滲み出てきて、見ている側はなんともイヤ~な気分にさせられるのに、全然気づいてない登場人物とかにお、ま、え~!!ってなったり、とにかく良い意味でストレス!!ってなりました。最後なんて本当にもうこんな盛大な皮肉ある?!ってぐらい、台詞と状況の乖離がエグくてうわーって思ってたらそのまま終わるので、その気持ちを抱えたまま帰ることになりました。帰りながらふと「報われし者のために」だけど果たして報われるとは……??ってなって改めて意味を調べてしまいました。いったい誰が報われたのかとか、報われるというより報いを受けてんじゃん!!などと思って日本語ってオモシロってなりました。(絶望)自分は割とロイスに感情移入しながら見てしまったのですが、一緒に行った友人と、彼女の選択の話になり、どっちを選んでも地獄ならよりマシな地獄選んだほうがまだよくね?みたいな話しながら帰りました。すごく楽しかったです。


本当はもっともっと伝えたいくらい沢山あるんです。でも芝居の感想だけは、上手く伝えられないんですよね。良くなかった舞台の感想は沢山書けるのですが、良かった舞台になると、何も書けないんですよ。上手く言えないんですけど、3人の娘達と同じく苦悩を抱えながらも瀬田さんの母としての立ち位置がとても良かったです。加藤さんも流石ですね。いやらしいです。あっぱれです。狩野さんもスケベでいいですね。森下もあんな役が出来るとはびっくりしました。日舞の成果でしょうか?舞台人として身体的にとても説得力があったように見えました。女優人もみんな適役でした。もと果ちゃんも良かったです。なんか上手く言えませんが、久しぶりに、イギリスのいい本の舞台を堪能した感じでした。客席の振動が、本当にあと少しでダブルコールでした。上手く言えなくてすみません。


●#劇団キンダースペース さんの【報われし者のために】を観劇してきましたーー!!

すごい映画を見ているような物語の濃密さと、役者さんのパワー、舞台のセット!これは是非皆さんにも見ていただきたい!すごい楽しかったです!

人間の生身の部分がすごい剥き出しになっててうぉあ~!ってなります!



私があの姉妹の立場だったらどんな選択をしたんだろう戦争がなければとか、たらればを話しながら帰っております。母の懐の広さと娘への愛素晴らしかったです。


素晴らしい舞台をありがとうございました。堪能しました。歳のせいばかりでもありますまいが()、、、昔「三姉妹」読んでも読んでも何が面白いのか、わかりませんでしたが、、、じわじわと、それぞれの人生が、あの頃、あの時を現しているようで、、、興味深く、また共感し。其々の人生が共鳴して、いい舞台になっていました。

瀬田さんは、失礼を承知で申しあげますが、歳を経て、良い役を得られたな、と思いました。また、流石の原田さんの演出、お元気でご活躍くださいませ。また、楽しみにしています。ありがとうございました。



観劇中、観劇後にこんなに涙を流したのは初めての体験でした。上手く言葉に出来ませんが、観ているのが辛いくらい自分の中に刺さるものを得ました。

お母様の言葉と覚悟のような耐えるような静かな思いが、ロイスの側にいる自分に痛く響きました。



「報われし者の為に」

観てきました!

凄い!凄すぎる!言葉に出来ない

全ての登場人物が、リアルに、必死に、自分の人生を生きていてそしてそれは皆、辛く、苦しいものばかりで息が出来無くなるようでした。

観終わると、思わず自分自身を抱きしめて、

「大丈夫?あなたは幸せ?あなたの家族はちゃんと幸せ?」と、自分自身に聞いていました。

改めて、人生の厳しさと、家族の在り方と

そして、今もなお、終わらない、戦争と云うものを考えさせられた作品でした。

それにしても役者さんが、一人残らず全員、見事に役を演じ切っていて、気迫と云うか、魂を感じ、だからこそ、すっかり、その世界に引きずり込まれてしまいました。

ブラボー!



きょうシアターX提携、劇団キンダースペース公演の「報われし者のために」(原作:サマセット・モーム、翻訳・翻案・演出/原田一樹)を観ました。

モームがチェーホフの「三人姉妹」から想を得たとされる戯曲は、イギリスの田舎町に住む中流階級の三姉妹を中心に描かれています。モーム58歳、1932年の作品。第一次世界大戦後の家族の有り様を描いています。観ていて、第一次世界大戦時191820年にかけて世界中で流行した「スペイン風邪」を思い浮かべていました。アメリカから感染が広がり、スペインの感染が大きく報じられたため「スペイン風邪」(A型インフルエンザ)の名称が残ったようです。日本でも1921年までに3845万人の死者が出ています。

芝居は三姉妹を中心に周辺の人びとを描き出していますが、ハッピーエンドではなく、家族のこれからの生き方を、考えさせてくれました。イギリスという大英帝国の繁栄から、戦争を通して戦勝国として第二次世界大戦後、植民地国が次々と独立して帝国解体から現在まで、思いを巡らしながら、俳優個々の熱演を観ていました。



墨田区に行って来た。劇団キンダースペース第44回本公演、シアターx提携、「報われし者のために」という芝居を観てきたのです。かみさんと二人で帰ってきたら、23時。だが、充実感で一杯です。サマセット・モームって有名だけど、俺は知らない。第1次世界大戦の後、1932年の作品だとのこと。彼の原作を翻訳・翻案・演出したのがキンダースペースの原田一樹さんだ。

面白い作品でした。演劇は、いつも人間の生き方について考えさせてくれる。否定ではなくどんな生き方をも、いわゆる常識からすれば非道徳的生き方も肯定されている、俺は共感します。そこに真実があるから。面白かった。劇団キンダースペースは、川口市にアトリエを構えています。この公演のあと、石川県七尾市にある「能登演劇堂」で、この芝居を上演します。宜しかったら北陸の見なさん、宜しく。



報われし者のために@シアターカイ

劇団キンダースペースの本公演。

サマセット・モームの「報われし者のために」を観劇。

劇場に入ると。。。100mのレースを使ったという舞台美術が印象的。スッキリして美しい舞台だ。

実はワークショップでホンの一部を読んでいたが、最後がどうなるのか、初めて知った。報われない……(ボソッ)

パンフレットには、サブタイトルとして「決断の苦渋」とあった。

人生は決断の連続。進むも、留まるも決断。その先にあるのは。。。

森下くんと松井さんの演技に驚きました。今後のさらなる活躍を期待させます。

もと果ちゃん演じるメイドさんもトドメが効いてました。

どの役者さんたちも、みなその役に真摯に向き合い、葛藤しながら役を作りあげている。

ひろ美ちゃん演じた母親役は、病を抱えながらも、子供たちに優しく、凛としている。けれど子供たちの心配ごとがたくさんあるのに、母親として、なぜその決断をしたのだろう。モームは何を描きたかったんだろう。

キンダーらしい、いろいろと考えさせられる作品でした。



「報われし者のために」

大変面白かったです。コロナ以降、マスクのためもあって、集中が最後まで続かない観劇が多かったのですが、今日は最後までガッツリ集中して見られました。

配役がとてもよく、パズルのピースがとてもうまくはまったような印象を受けました。

劇団員も総じて良かったし、ベテラン客演陣の充実ぶりも見事で、イギリスの田舎の家族と第一次大戦の爪痕といった情景がリアルに浮かび上がりました。

アフタートークのモーム研究会の話も面白かったです。

この作品については、原田さんが国内上演の3回中2回を演出したということらしく、戯曲解釈の充実ぶりもうなづけるといった感じでしょうか。

世相と呼応してか、キンダースペースもここ数年より元気があるように(勝手ですが)思いました。更なるご発展をお祈りいたします。



シアターχで、劇団キンダースペース公演「報われし者のために」を観劇しました。

この劇団でいつも感じさせられることだが、客席に入るとすでに物語が始まっている。3人姉妹を思わせるそれぞれ意匠の違う白い背の花瓶にバラが3カ所に飾られている。劇画は始まってからもこのバラ達は常に光が当てられている。さらに舞台右側には一段と低い舞台があり、ここには子供用の木馬が置かれ、座には小さな花が置かれている。兄の象徴であるようだが、バラ達と違って、ここの明かりは劇中で消えることがある。それにしてもこの劇場はこんなに広い舞台だったかと思わせるかのように舞台装置に工夫がさている。色違いの格子の床は菱形に見えるように配置され、壁の格子も不規則間隔で、舞台奥は3段の層をなしていて、手前に小さな、奥にはデカイ柔らかなレースカーテンがある。複雑な人間模様を美術家 佐々波雅子さんは見事に舞台美術で語りかけている。

田舎町に住むアーズレイ一家と出入りする人々が、問題を抱えながら今よりは未来が良い幸せになることを願う、心の脱走の物語である。

後半、ブラケットの明かりが灯り、舞台が暖かい光の中なのに、家族の崩壊とそれを許さない父があらわになる。12人の出演者は全てが主役となって演じ見せてくれている。例えば、火傷のケロイドを持つ召使役の「小林もと果」にしても、末の妹が不条理を承知でそれでも出ていくと言うセリフの間にカップを持つ手が止って聞き入る。このあと彼女は一家に別れを告げる。子供達の行動の理解を示す「瀬田ひろ美」の母親が彼女の魅力と相まって見る人を最後に救ってくれる。

チャホフの「三人姉妹」の最後に、長女が「やがて時がくれば、どうしてこんあことがあるのか、なんのためにこんな苦しみがあるのか、みんなわかるのよ。」

私たちは90年も前のモームのメセージを理解し、古い事だと笑えるだろうか?

難しい課題を、演出家原田一樹はいつも投げかける。



この劇団のモノは観に行く何故なら

いつもココロが温かくなり、励まされることがおおいから~

もう20年以上のお付き合い

一時期、芝居の音楽を仕事としてやらせてもらってた時期がワタシにもある。

今はもう旅立った照明家の先輩の勧めで、西川口にアトリエを構えるキンダースペースのワークショップや、アトリエ公演などに足しげく通ったりもした。残念ながら、その当時から優秀な音楽家がひとり付いていてワタシには入り込む余地はなかったようだが(苦笑)

さて。

今回のモーム原作の戯曲、ウクライナ危機を踏まえた我が国の不穏な戦前?の予感、そんな世相を見極めた原田一樹の翻案、演出が目を見張るようだった。

第一次世界大戦、その傷痕のあきらかなイギリスの裕福な家庭を舞台に、老いた親と巣立ちの兄弟姉妹、それぞれの価値観やベクトルの違いを見事に舞台化している。家族の崩壊とそのことへの足掻き気づいてしまった者と気づけない者

救いなど微塵もないかのように物語は終幕へと急ぐ

立川談志「落語は人間の業の肯定で成り立っている」この言葉がずっと残っていて

生きるとは

さて、罪深き人間のありようすべてを見て知ってなお、ただ頷いているということかと一見、救いようのない分裂と軋轢

それでも愛すべき者として、原田は翻案したのでは?と

劇場を水鏡のように静まり返らせた役者たちの集中も相まって

人に対する深い洞察と優しさに満ちた舞台!

満席の客席で聞いた終演後の拍手の確かさは彼らへの愛でもあったなぁと

ココロがポカポカになって家路を急いだ。

そのうち昔のように飲み屋で打ち上げなんてねそんな時がまた来るのだろうか



ステキに良い芝居をドキドキしながら観ました。

モームが1932年に書いた、戯曲としてはほぼ最後の作品。

モームがチェーホフの『三人姉妹』から着想をえて書いたとされています。

原題は【アーズリー家の三姉妹】

英国の田舎町で、裕福で平穏な日々を送っていたアーズリー家の人びとが、

第一次世界大戦を背景にして『崩壊』してゆく物語。

演出の原田一樹さんは、現在のウクライナとロシアの戦争形態が第一次世界大戦と相似しているとして上演することにしたと、パンフに書いています。

それぞれの出演者が素晴らしい力演で感服しました。

なかでも長女を演じた古木杏子さんが強く印象に残り、

母親を演じた瀬田ひろ美さんが穏やかなたたずまいのなかに、ずっしりとした存在感で感動いたしましたなあ。

また、佐々波雅子さんの舞台美術が素敵でした。

そして、あの頃の戯曲の何と素晴らしいことかと、つくづく思い知らされた時間でした。



劇団キンダースペースの「報われし者のために」を観劇しました。

第一次世界大戦後、イングランドの片田舎の一家の話。

家の中のセットの中で家族が交差しながら色々な問題が絡み合っていくのがレオポルトシュタットを思い出させる。

戦争が色々な形で一家全員に及ぼした影響、家族という狭い世界で行き詰まっていく感覚、近すぎてわからなくなる事がリアルで家族って客観的に見るとこうよねと思わせる。側から見ると病んで行くのが丸見えなのに、当の家族は案外こんなふうにわからないのかもしれない。

そんな中優しくて強い母の存在が安心でもあり、本音はそうなの?と思ったり私の人生経験の無さがそう思わせるのかもしれないけど。

最後のガートルードの台詞は原田監督が足したという事だが、これが気味悪さをかもしだしていた。舞台セットが素敵。

最後のロイスが持ってた鞄やレコードプレーヤーの台の布、クッション 電気スタンドがいい‼️ありがたい事に最前列で観劇、アフタートークでは原田先生のモームの話や、セット、家族の形の話が聞けて面白かった‼️サマセットモームの作品が読みたくなった。(なんと❗️キンダーがやった「手紙」は配信で観ていた❗️)



いい芝居だった。

アフタートークで演出の原田氏が言っていた

「例えば海で波を眺めていたりとか、作為でなく、自然体のものはいつまでも見ていられる」

まさにこの芝居がそうだった。

モームがチェーホフの「三人姉妹」から着想を得たとされている本作。

イングランドの田舎町に居を構えるアーズレイ家が裕福で平穏な日々を送りながら、その内側に、明日にでも全てを崩壊させかねない種を宿す、その過程を描いている。(公演チラシと当日パンフレットより)

三姉妹の不安と焦燥、孤独は背景は多少違えど、まさに現代を生きる女性の私たちの私の、それだ。

そして自尊心の毀損によって自滅していくブラックホールへの入口が割と、常に、近くにあることを認識している。

胸がえぐられるようだが、逃げ隠れもできず正面から対峙することを余儀なくされている登場人物たちの姿を突きつけられると、不思議と赦された気にもなる。

舞台上で登場人物たちが苦しんだり闘ったりしているのを見て、自身を赦したり責めたりしながら普段考えないようにしていることを考える時間が持てる。

そういう芝居が私はとても好きだし、いい芝居だと思う。

役者陣が皆さん素晴らしかった。みんな本物だった。ずっと見ていたかった。

瀬田さん演じる母親、シャーロットの娘たちへの信頼、息子シドニー(川野さん)との関係が何とも。ある短いひとことが、ずっと頭に残って余韻がすごい。

俳優座の加藤佳男さんも素晴らしかった。すごい「お父さん」だった。ラストシーンの不協和音が、あまりに凄すぎて、怖くて鳥肌がゾワーっと手首から背筋まで走った。

しまいには泣いてた。

あそこで幕が降りるなんて残酷すぎて(いい意味で)、拍手も忘れるし立ち上がれなくなってた。



キンダースペース『報われし者のために』@シアターΧ。「終わった人生」などない、だからこそ日常は残酷で荒涼としている。チェーホフ『三人姉妹』を通奏低音に響かせ芳醇なことばで魅せてくれる。戦争が沈殿した日常に影を落とし生まれる「悪」。だが、なんと演劇では怪しく魔力的な光を放つのだろう。


様々な感情の矢と残り香、空気、残像でいっぱいです。

悲しくてどこにもやれない想いが苦しくて、それでもそれを少し理解できる自分に嬉しかったりもして、上質な台詞と所作の心地良さもあって...

今日はしばらく引きずりそうな何とも言えない重みを感じながらも、ジリジリと帰り道に活力がわいてくるありがたい時間でした。

そして、以前観させていただいたエドガーアランポー、とても興味深く揺さぶられたのも思い出しました。

舞台の安心感のタイムスリップ体感はもちろんあったのですが、エドガーアランポーの作品自体、ひとつひとつ知らなかったので、知った上でまた観たいと思ったことを...

知らなくても、本人の生き方のつまった作品と本人の人生、なんとも不思議な世界に連れて行かれたことを...

舞台というのは、こうありたいを届けてくださり、いつもありがとうございます



久し振りのキンダースペースの観劇。

やはり期待以上に素晴らしかったなあ。

淡々と会話がすすんでいるシーンなんだけど、聞き逃してはいけない、見逃してはいけないという、役者さんたちのオーラが凄すぎて固まって、どんどん吸い込まれていくのが怖いくらいでした。この先この家族がどう崩れていくの?という期待?みたいなのもあって、あっという間でした。

ここからは私の気持ちで長いです。忘れたくないのでかきとめておくだけです。

実はキンダーロスで今度こそ絶対観る!と決めていたから

チラシや案内を手にする前に予約をしてしまうという

決意で臨みました。席もいつも端っこのほうにするんだけれど、今回は真ん中の良く見えるところをお願いしてしまいました。キンダーのアトリエの側に居るせいか街で見かける役者さんたちの熱量が半端なく、これは観に行かなきゃと思い切って早々に予約。今日までの日々はわくわくでいっぱい!(^^)!反面、この作品は辛く、重く、深刻で苦しい内容。

会場に入って着席して舞台をみてみると~1つ1つのセット(家具や照明)本当に綿密で絶妙な配置で、スタッフの方々の立ち居振る舞いが素晴らしく気配りされていて、これから始まるお芝居をみるための気持ちの受け入れ態勢が十分に整った。よし!

ただここで一番気になったのがお花が活けられた2つの花瓶。

ずーーっと目立って目に飛び込んでくるのよねー。

役者さん皆さんのお芝居は表情、仕草、声のトーンすべてが繊細で細かく、そのせいか登場人物すべての人に共感でき、同情でき、そういう意味でとても楽しむことができラストまで食い入るように入り込めた。体中がどんどん熱くなって、アッ、でも固まってたかも。

お母さんのシャーロット(瀬田さん)は、立ち姿、声、眼差し、仕草すべてが深い愛に満ち溢れた女神様のよう。でもやがて

逝ってしまう。「待ちわびていたパーティが終わってそろそろ帰ろうかな」なんて潔く。

その先、この家族は、全てを黙って淡々と自分の仕事をこなしていたガートルートは、どうなっていくの?もっと崩壊してくの?

と心の中で問いていたら、ラストシーンに近ずいたその時、

あのずーっと視界に入って明るい照明をあびて輝いていたあの花瓶の花、絶対に動くことなく、揺れることなくそこにあった花が

とうとう発狂したイーウァに、1輪さーーーーッと抜かれるという。その時やっとこの花瓶とこの花の存在が報われた(意味を成した)と勝手に解釈してしまいました。

花瓶の花一輪々がアーズレイ一家だったのかなあ。



モーム原作の芝居、知りませんでした。

ひと昔前、大学入試のための英語読解にはラッセルやモームが流行っていました。今は「そんな難しい英文」を読むより速読重視、文学や評論には重きを置かず、私には何か納得がいかない流れになっています。今日の芝居の原作はモーム、ウィリアム・サマセット・モーム(1874 - 1965年)、イギリスの小説家、劇作家です。

お目当ての松井結起子は、アーズレイ家の親子ほど年の離れた三女に興味を持つ資産家の妻。夫の行動に怒りを覚える目立つ役どころ、その演技に魅了されました。昨年の劇団キンダースペース『パレードを待ちながら』(2022年)に続く、戦争の時代を描いた作品。今、上演する意味を感じ、感情的では無く冷静な目で、今の世界の現実を見て考える必要が我々日本人にはあると思いました。何故か今、「モーム」が再来。来週226日から、俳優座劇場プロデュース公演『聖なる炎』が上演されます。



友人を誘って劇団キンダースペース だい44回本公演「報われし者のために」を観劇しました。まず、会場に入った際、目に入った舞台の素敵な空間になぜか心がほっとするのを覚えました。そして観劇最中に23度目頭が熱くなった場面、台詞がありました。戦争の後遺症は終わりはないように思います。それぞれの役は勿論 冷静、寛容、凛としたシャーレット役の瀬田さんはぴったりでした! やっぱり原田さんは素晴らしい!! が実感です。観劇後の今日も色々考えさせられています。良い一時に感激、感謝です。


深く共感する部分のあるお芝居でした。戦争というものは、どこの国にも、関わった国の国民は多かれ少なかれ、傷つき、それによって、起こる不調和が生まれるのだと思いました。うちは、母が戦争孤児で、東京大空襲で、家族を全員亡くしているのだけれど、その母が抱える、空洞はどうにも埋められないのだと、大人になってから、理解しました。私は、そういうところに、思いを馳せてました。育った環境で、物語を見る視点は人それぞれになるのだと、つくづく思いました。



戦争の縮図を家族に置き換えてえがかれている様で物語のラスト辺りでゾッとしました。



戦うことのむなしさと、家族それぞれの思い、食い違いのようなものが

折り合った物語にグッときました。皆さんの演技に引き込まれました。



戦前の作品のテーマがあまりにも現代的で驚きました。

しかし、それはモームの鋭さによるものだけではなく、要するに社会が変わっていないということが大きいのだろうと思いました。



初めて伺った『新新ハムレット』から丁度10年経ち、感無量です。

犠牲になるのが名誉という大義名分が戦争にあると感じます。果たして「報われた」のか、幸せは人それぞれで、それ故人との対立が起きる何とももどかしさが残ります。



幸せとは何か考えさせられました。家族が崩れていく様、姉が壊れていくシーンが印象的でした。今後の日本にも通じる話だなあと思った。そんな中、父のズレた感覚のセリフが印象的だった。舞台の角度が面白かったです。


●やはり色々考えさせられましたが、若い女の子の心の中、主婦としての悩み、勝手な人間の思い込み、など短時間でわかりやすく。古木さんのセリフの言いまわし素晴らしいです。小林さんはセリフが少ないのに最後にグッときました。


●あっという間に引き込まれて、時間が経過していくことを忘れました。2時間20分が「短い」と感じ、もっと続きを観たいという衝動にかられました。

冒頭は人間関係を把握することに少しエネルギーを使いましたが、その後は一人一人の発する言葉がいずれもそれぞれの立場から発せられるものなので、一言も聞き漏らすまいと集中しました。「戦争」の影を当初はあまり感じませんでしたが、気がつくと長男にも長女にもそして次女夫婦にも、さらには自殺してしまったコリーにも、しっかり「戦争」の影響が染み付いているのですね。

そしてやはり何と言っても気になるのは三女と、その三女を巡り展開される男たちのドロドロした感情です。三女の最終的な選択(高齢のおっさんとの駆け落ち)は、何ともブラックで後味が悪いと思う一方、この閉塞感で満ち満ちた家庭から脱出する手段としてなら「これもありかな」と思わせるものでした。こうした登場人物たちのどうしようもない絶望の中、一人何も知らず(知ろうとせず?)家族の長の弁護士の姿が、これまた滑稽で、それが更に閉塞感を増大させていました。

そんな中で三女が駆け落ち相手から贈られた高価なネックレスを最後に首から外したことに、唯一の 「救い」を感じました。あれは原作にあったのでしょうか? それとも今回の演出に際しての原田さんの想いでしょうか?

とにかくストーリー全体が「暗い」のに、とても見応えを感じる素晴らしい舞台でした。





















































(c) Kinderspace 1985~