劇団キンダースペース 連続ワークショップ 2012

キンダースペース主宰・演出家/原田一樹 キンダースペース俳優・スタッフ が直接指導 
好評のワークショップです!

「演劇」の明日に向かって。

演劇とは、あるフィクションの「時間」を観客の前に提示するものです。

この「物語」の役割の一つは、我々の今生きて暮らしている世界の物差しに対してある懐疑をさしはさむことです。我々が普段幸福と感じているもの、不幸と感じるもの、正しいと思うもの、不正であると感じるものは、本当にそのままの姿であり続けるのでしょうか。時代、社会の変遷、あるいは一人の人間の一生という時間においても、それらは大きく揺らぎます。

 これまで優れているとされている演劇史上の「物語」を見ると、そこに描かれているのは、幸福に向かい、正しさを追い求め努力し戦う人々が、文字通りその努力によって裏切られ敗れていく姿です。こういったものに触れると、私たちは生きていくことの根本にある不安に気づかされます。戯曲に限らず、音楽、美術、文学においても、我々に深い感銘を与えるものは、人生のあり方の不条理や不安をその深い地層で捉えているものです。

 このような「演劇」における俳優の課題は、「物語」の時間を、いかに魅力的に、そしてドラマチックに生きることが出来るかということなのです。この時に重要なのは、戯曲に描かれているものをなぞる、ということではなく、世界の物差しに立ち向かっている戯曲の、その立ち向かっているあり方そのものを生きる、という意識を持つことです。俳優は、自らの想像を超えるような「物語」に稽古の度に出会うことが求められるのです。俳優が他の創造者と同等の創造性と身体をもって舞台に立ち、演技というものを組み立てるのです。

このことはどのように可能でしょうか? それを演技の側と戯曲の側、双方から探って行こうとするのが連続ワークショップです。

実際には、東西の様々な戯曲の一部をテーマに沿って読み解き、会話を組み立て、アンサンブルを探っていきます。ギリシャ悲劇、近代劇、現代劇。それぞれにおけるドラマの成立の仕方、演技の方向、俳優としての立ち方をテキストの実演を通して探ります。15年目の今年は、以下のテーマを設定しました。

最終日には小さな発表を行います。キンダースペースがこれまで全国各地で行なってきたワークショップ、また様々な俳優訓練のエクササイズも紹介します。
 募集は各回ごと。基本的には一年以上の演技経験者を対象とします。これまでのキンダースペースの連続ワークショップ未参加の方も受講可能です。


一年以上の演技、演出、舞台経験者を対象


時間:19:00〜22:00
費用:21,000
定員:12名


Vol.45 「日々の孤独」
12月4(火)・5(水)・7(金)・8(土)・11(火)・12(水)・14(金)・15(土)

 (8日間)

演劇において、「日常」というものが舞台とされたのは、イプセン以降です。これはある見方をすれば、ドラマというものが神に始まる他者との葛藤から、家庭や自分自身の中にある他者との葛藤に移り変わってきたのだということも出来ます。近代以降、人は自分自身というものを最も理解しにくいものとして抱えています。つまり私たちの孤独は、他者との関わりを失うということではなく、自分自身の不在に気がつくということなのです。この「孤独」をどのように意識の上に持ち、役というものに迫るのか? 俳優にとって、このこともまた重要な要素の一つです。

2012年度の 連続ワークショップVol.44、連続ワークショップ45、モノドラマワークショップ2012、全てにご参加の方は、参加費総額から5,000円割引きさせていただきます。


申し込み方
希望するワークショップを明記の上、メールでお送りください。お問い合わせも受付けます。
郵便番号・住所・氏名・電話番号・FAX番号・年齢・性別・職業・所属・
演劇経験年数 (なし  1年未満  1年以上)
実施会場:劇団キンダースペースアトリエ
    電話 048-255-4342
    〒332-0021 川口市西川口1-23-3 マンションヒルマ1F
申し込み・問い合わせ:劇団キンダースペースオフィス
    電話 048-252-0551
※申し込み用紙も用意してございます。御請求ください。
※定員になり次第締め切ります。お早めに御応募ください。
※ワークショップに関して劇団の事情によりやむをえず日程が変更になる場合がありますのでご了承ください。その場合応募者には早めに御連絡いたします。


以下のワークショップは終了しました。有り難うございました。
Vol.44 「愛が不足」定員に達しました。
5月8(火)・9(水)・11(金)・12(土)・15(火)・16(水)・18(金)・19(土)(8日間)
古今東西、演劇においては、多く愛というものが描かれてきました。もちろん、これは男女間の愛情ばかりではなく、自己愛や人類愛、あるいは嫉妬や執着といったものも含まれます。そしてドラマの時間は、この愛の充足する姿を描くものではありません。たいていの場合、愛の過剰や不足によって巻き起こる葛藤が劇的な時間を持続させます。この不足を俳優はいかに生きるべきでしょうか? 又人の心においては、「不足」という思いがどのようにその人間を動かすのでしょうか? 西洋、日本の近代劇、現代劇の中に、愛とその不足を探ります。