ワークショップポータルサイトDENに、キンダースペースワークショップの様子が紹介されました。
是非御覧ください。
俳優が舞台で表現すべき「何か」をドラマの中から探すワークショップです。 一年以上の演技、演出、舞台経験者を対象 |
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Vol.27 『メロドラマの向こう側』 5/6(金) 7(土) 10(火) 11(水) 13(金) 14(土) 17(火) 18(水) (8日間) |
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およそ物語というものが人々の間に生まれて以来、メロドラマというもの、あるいはメロドラマ的な要素はフィクションの世界の中で大きな割合を占めてきました。そもそもメロドラマというものはどう言ったもので、その何が大衆迎合とのそしりを受けるのでしょうか? あるいは逆に、非常に受け入れられ易いのだとすればそれはなぜでしょうか? すれ違いがメロドラマの本流であるならば、例えば男と女の間ばかりでなく、人間と歴史、あるいは個と世界の間のすれ違いのメロドラマというものは可能なのでしょうか? いずれにせよ、フィクションはこのずれとすれ違いをドラマチックに仕立て上げるものです。では俳優には、このずれとすれ違いをどう読み解き、一つの人格の内面において、あるいは他者との関係において身体化して、観客の心を動かすことを求められているのでしょうか? その方法を探ります。 | |||||
Vol.28 『ギャンブルの向こう側』 9/6(火) 7(水) 9(金) 10(土) 13(火) 14(水) 16(金) 17(土) (8日間) |
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一説によれば、ギャンブルの面白さは負けることの面白さだそうです。確かに必ず勝つことが保障されているギャンブルはギャンブルとは呼べず、誰もそれをしないでしょうが、負け続け、一度も勝ったことがないのにギャンブルを止められない人間は後を絶たないような気がします。つまり「明日は勝つ」ではなく「明日は勝つかもしれない」が、ギャンブルの魅力なのです。従って舞台の上でのギャンブルは、その勝ち負けはすでに書かれてしまっているのにもかかわらず、ギャンブルとしての面白さを生かすことが可能となるわけです。これは要するに舞台の一回性、ライブということの分析なのですが、これこそが、リアリズム演劇において俳優がその身体を持って立ち向かうべき、大きな課題であることは間違いがありません。俳優はどれほど新鮮でいられるか、その方法を探ります。 | |||||
Vol.29 『夢の向こう側』 11/29(火) 30(水) 12/2(金) 3(土) 6(火) 7(水) 9(金) 10(土) (8日間) |
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ここではないどこかに本当の何かが存在する、という考えや、ここではないどこかに向かうのだという意志は、戯曲に限らず多くの物語のモチーフとなっています。人は多くの夢というものを抱え、また新たな夢を次々と必要とする生きものであるが故に、こういった考え方とそれによる行動が、観客に、創られた人物への同化を引き起こすのです。 舞台の上で「ここではないどこか」は、どのように立ち現われるのでしょうか。一つの物語が劇的であるかどうかは、この立ち現われ方の切実さにかかっています。そしていうまでもなく、この切実さを作り上げる半分以上は俳優の仕事であり、観客は舞台で演じられた役を通し、また、夢の側から見て、人間というものの存在の危うさを知るのです。夢、あるいは、幻想を必要とする人間の不安と危うさをどう繊細に生きるか、逆説的ながら、俳優の魅力というものは、ここにかかっているのです。 |
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時間:19:00〜22:00 費用:各回\21,000 定員:12名 |
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「からだ」というのは、演劇的な言い方をした場合、単純に「肉体」という意味ではありません。心の動き、空間や誰か他人との関係がどのように「動くこと」や「静止すること」に結びついているかという感覚も含んだ「身体」のことです。 |
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演劇とはどういう芸術なのか? 演劇はなぜ面白いのか? 面白くない演劇は何が問題か? 演劇はいつ生まれ、どう育ったのか? リアルとは何か? |
申し込み方法 郵便番号・住所・氏名・電話番号・FAX番号・年齢・性別・職業・所属・ 実施会場:劇団キンダースペースアトリエ |