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「方の会」第26回公演【夏の出来事】 女性のたしなみ? |
TOGA Summer Arts Program 審査員 |
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俳優座 LABO 演出・原田一樹 |
パンフレットより 丁度この原稿を書こうという時に、ケンブリッジ大学の英文科コースの科目であったシェークスピアが必須を外される方向で検討されているという記事を、いくつかの新聞で見かけました。その理由は、近現代の作家研究にもっと時間を取りたいということ、学生に興味がなく、多くは試験に出る部分の暗記に終わってしまっているということ、の二点で、一六・七世紀の作品がインターネットの時代にそぐわないという意見も出たそうです。 |
テアトロ8月号 結城雅秀氏 俳優座LABOの「アーズリー家の三姉妹」なかなか公演の機会のないサマセット・モームの作品。戦争はやはり、戦勝国の場合であっても、人々の暮らしぶりや伝統的価値に相当の影響を与える。第一次世界大戦後の英国においても、戦後の日本程ではないが、古い階級制度が崩壊の過程をたどる様相を示している。アーズリー家の頭であるレナードは表層的な範囲でしか気づいてないが、この家庭崩壊の悲劇にはアイルランドの貧困やスペインの作家ロルカの世界を思わせるものがある。演出の原田一樹は登場人物の葛藤と心理の綾をうまく描いた。 高田 岡村さんには俳優座LABO「アーズリー家の三姉妹」、サマセット・モーム作、 木下順二訳、原田一樹演出です。キンダースペースの演出家ですね。俳優座以外 の人が俳優座LABOで演出するという。 |
劇団NLT所属。 ギィ・フォワシィシアター、マルセ太郎プロデュース公演などに参加。 92年より黒柳徹子主演「ニノチカ」で太后妃役で共演。96年福井市主催「能ナイト」朝倉百年昔語りに語り部役で出演。 各地で「一人芝居」に挑戦し、長い芸暦を集約させた品格ある芸風が、観客を魅了している。 |
目黒幸子の語り芝居 演出・原田一樹 素敵な舞台写真入りで評が掲載されています。是非御覧ください。 B |
パンフレットより 原田一樹 キリスト教作家、矢代静一氏の「夜明けに消えた」という前期の代表作に、目黒さんに出演して頂いたことがあった。目黒さんの役は、イエスが現われた当時のエルサレム、キリスト教の弾圧で息子を失った老婆で、これも妻を火あぶりから救うことが出来ず、しかもそのショックによる狂気の中で助けを乞う瀕死の妻を見捨ててきた主人公との、ほんの一時の邂逅が登場の全てであった。この時の目黒さんの演技が忘れられない。 という言い方には誤解がありそうだから付け加えたいが、こういった時の演技とは、どう台詞を言ったとか、どういう身振りをしたかということではない。何と向き合っていたか、どんな世界のなかに身を置いていたか、ということである。天国に酒があるか、という会話で、酒が無くてなんで天国だという主人公に、酒が必要ないから天国だ、と言うのんべの老婆、女優目黒幸子の想像力による、自らの身の置きどころに感動させられるのである。 目黒さんとは時々お酒の席にご一緒させて頂く。「夜明けに消えた」の稽古中でも、照明家が来て、確か池ノ上の鉄板焼き屋で飲んだ。その時目黒さんは冷えすぎた生ビールの刺激を中和するために、傍の割り箸でジョッキをかきまぜた。当然、あふれる泡で鉄板は水浸しになり大騒ぎになった。酔っていたのではない、一杯目だった。これはこれで、大変感動させられたのを覚えている。 |
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劇団NLT 演出・原田一樹 |
パンフレットより 原田一樹 タイムマシンの矛盾についての話があります。ある殺人鬼がタイムマシンに乗り、少年時代の自分に会い、これを殺してしまったとします。すると、その殺人鬼である本人はその少年の将来の姿であるのですから当然そこに存在するはずがなく、その瞬間に消えてなくなってしまうわけです。しかし消えてなくなれば、その少年も殺されることはなく、殺人鬼も復活し、殺人が行なわれ、少年は殺され…。これがいわゆるパラドックス(論理矛盾)なのですが、考えてみれば、私たちは実人生において、この種の迷宮の一歩手前の矛盾を平気で生きているような気がします。 私たちはたいてい記憶を自分に都合のいいように編集しています。自分の犯してしまった罪は、誰かに見つけられるまでは罪ではありません。また、もし私たちが心の深奥で持っている欲望や妄想の全てが白日の元、他人の目の前に形を持ってさらされるとしたら、きっと生きてはいられません。つまり、人は、どんな罪でも、どんな恐ろしいことでも、可能性としてはなしうる存在なのです。そして、おそらくそこにこそ、物語の存在する理由があります。物語の中でなら、人はかなり恐ろしいことにも堪えられます。それどころか、これ以上はない恐怖の物語がある等と耳にすれば、大抵聞かずにはいられません。きっと私たちは、実人生で迷い込んでしまうかも知れないそういった恐怖の深淵に、物語(=フィクション)という地図を与え、わけいってはならない道として刻印することで、なんとか日々の平衡を保っているのです。 今回、「緋い記憶」という見事な地図を与えてくださった、高橋克彦さん、企画の工藤さん、そしてNLTの皆さんに感謝いたします(もちろんこれは本心です)。そして、気心の知れたNLTの俳優の方たち(これは演出家の妄想かも知れません)と、再び仕事が出来ることに、興奮しています。 |
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方の会 演出・原田一樹 |
パンフレットより 原田一樹 恋愛というものは、種の保存に元来必要なものであるのか、という疑問があります。男女が愛し合い、子をもうけ、その子に愛情を注ぎ育てるということは一見種の保存の法則にかなっているようですが、これは一対一の男女のペアが正確に一致した場合の話であって、恋愛のほとんどが三角関係や、失恋、嫉妬、支配欲や略奪愛、また同性への愛や、かなわぬ愛といった要素を含む以上、効率的な生殖に愛は邪魔なのではないかというのがその論拠です。 たしかに、人は嫉妬によって人に殺したり、愛するものを守るために戦争したりしています。人がいつか滅亡するとしたら恐怖の大王の所為ではなく、愛によってかも知れません。 しかし、もう一方でこういう学説もあります。生物が合成と分裂によって始めて石や水、大気といった元素だけの無機物から、同じ原料による生きものとなったとき、その生ものの生きていくエネルギーの核となるものは淋しさの否定である、という学説です。 ちょっと気を抜くとすぐ無生物になってしまう苛酷な世界の中で、ひとつの蛋白質の細胞が分裂を繰り返し続けられたのは、淋しくなりたくない、一人ではないぞという思いに駆り立てられていたから、と言うのですが、これは愛を求める行為と似てないこともありません。 いずれにせよ、もしこの地球上最初の生物が自分は無機物ではないという頑張りを持たなければ、人も、ライオンも鷲も、水にすむ無言の魚も、人の目に見えない微生物も存在しなかった訳で、それこそ哀れな月だけが虚しく明かりを灯すということになり、やはり愛はそれが過剰なものであれ必要だったのです。 さて、今回、方の会は「異本竹取物語」を取り上げました。 榊原政常氏によるわが国最古の物語の戯曲化は「異本」となっていますが、その大筋は元本の「竹取物語」の核心を異にしていません。今回はさらに少なくないテキストレージをさせていただきましたが、それでも榊原氏のつけた核心への道筋から逃れていないつもりです。 これは逆に言うと、元本の「竹取物語」がそれだけの象徴性と、普遍性を持ち、さまざまな読み替え、読み込みに耐えうる、示唆と暗喩に富んだすぐれた作品だということに他なりません。 私たちの先達は、人の出会いと分かれ、存在と無、愛と欲望についてのすぐれた文学を私たちに残してくれました。愛と感謝を捧げます。 |
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The 30'S Smoky Chat 演出・原田一樹 作・春日亀千尋/松永麻里/深水みゆき/越智絵理花 美術・松野潤 照明・森田三郎 出演 春日亀千尋/松永麻里/深水みゆき/越智絵理花 2/10〜13 場所 銀座小劇場 |
パンフレットより 原田一樹 The 30's賛江 それぞれ演劇経験の違う30代の女優が四人で作っているというあなたたちThe 30'sのことを知ったのは、いまから三年ほど前です。 その時はそのあり方についてさほど思うこともなかったのですが、共に作品づくりをしようという段になって、女性であるということ、30代であるということがThe 30'sという集団の、そして、創造していく作品のコンセプトであるべきだと、すくなくとも季節限定関係者の一人としては考えるようになりました。 「今の世の中は、30代の女性にとってどういうものであるのか。」 「30代の女性は、今の世の中にとってどういうものであるのか。」 このことを演劇を通して突き詰めていくことが、The 30'sの活動の意味であり、逆に言えば、この限定にこそ、The 30'sが普遍的な演劇のテーマを獲得していく方法があります。 と、言うようなことを提案した結果今回のような創作スタイルを選ばざるを得なくなったあなたたちはいつもの創作業務に加え、共通のテーマを持ち、別々のアプローチで本を書き、それをまとめるという初の試みにそれこそ眠れぬ夜を過ごしたことでしょう。 しかしこれは演劇というものの全体を知っていく上で、また四人のそれぞれの演劇的な考え方の差異と共有を確認しあっていく上で、貴重な経験であることはまちがいありません。 今回このやり方が上手く行っているのかどうか、これからのこのやり方で創作を続けていけるのかどうか、たしかに課題はたくさん残っています。が、一つの継続するコンセプトと追い求めるべきテーマを持っているということは、一人の作歌の作品に寄り掛からざるを得ない小さな劇団や、企画立案に追われ作品ごとに申請書類のたろり上演意図をあと付けしているような大きな劇団の情況と比べればはるかに創造性にあふれているといえます。 The 30'sのみなさん、季節限定を盾にとって無責任に言うわけではありませんが、今回試みたやり方をぜひあともう何年か試してみることをお薦めします。 30'sが40'sとなり、50'sとなって実を結ぶ、ということがあれば、これはきっと演劇界にとっても大きな収穫であるはずですから。 |
春は「笑い」から。というわけでもないが、小劇場系は春夏秋冬「笑い」は欠かせない。まず出演者四人による共作、原田一樹演出The 30'S「Smoky Chat」は、望外のおもしろさ。共学の高校が舞台で、ここの同世代の女性教師四人が理科実験室をたまり場に、自分たちが公私に抱える問題を戦わせる。彼女たちの発言は劇の台詞として白熱、しかも笑いを呼び込む余裕があり、タテマエから自由であろうとする彼女たちの願望が、そのまま劇の開放感につながっていくのだ。 |