原田一樹 2000年度 演出作品詳細
& パンフレットより

■俳優座LABO「アーズリー家の三姉妹」劇評
The 30'S 「Smoky Chat」劇評


「方の会」第26回公演【夏の出来事】

女性のたしなみ? 
それは噂話!!
さて、あなたは…女たちの物語
出演
市川夏江 蓬莱照子 沼波照枝 内田尋子 
鷹觜喜洋子 武田竹美 原知佐子 目黒幸子 他
美術/松野潤 照明/森田三郎 音響/八幡泰彦
アイピット目白
03-3951-6011
2000年11月7日B〜12日@
7・8・9日  PM7:00
   10日・11日 PM2:00 7:00
12日    PM2:00
\4000
方の会045-402-7827



草月ホール
03-3408-9113
2000年11月21日B
PM6:30
S席 \5000 A席 \4500 B席 \4000
クーロス 03-5768-5330

DASH'公演「TAKETORI」竹取物語より

「竹取物語」は喪失の物語です。二十世紀が終わろうとする今、私たちは考え得るあらゆるものを手に入れ、たくさんのものに囲まれて生活しています。そして、この千年前に書かれた、私たちの初めての物語は、私たちがどれだけ望もうと、決して手に入れられないものがあることを私たちに教えます。
「竹取物語」は、愛と執着の物語であります。
今はとて 天の羽衣着る折りぞ 君を哀れと 思ひしりぬる
という歌を残し、天界へと去っていくかぐや姫も又、羽衣をまとうことによって、永遠と引き替えに、全ての愛と記憶と人への執着を失くしてしまう存在です。後に残された私たちは、ただ、無常の思いの中で、私たちの残りの生を暮らさねばなりません。
だからこそこの物語は、文章や映像という、次に残るものよりも、私たち自身というこれも現れては消えていく表現体として、舞台の一瞬に再現することこそふさわしいと、考えています。
出演

岡本初美 原田治 狭間鉄 他
DASH'
美術/松野潤 照明/沖野隆一 音響/関克郎

TOGA Summer Arts Program
JPAF演出家コンクール
下記のような要項で募集されたJPAF演出家コンクールに多数の応募がありました。
厳正な審査の結果、海外戯曲部門12作品、国内戯曲部門13作品が選ばれ、
富山県利賀芸術公園にて二次審査の公演が行われます。
多くの才能ある演出家との出逢いに御期待ください。
開催期間
海外戯曲部門 8/2〜10
国内戯曲部門 8/17〜25
JPAF演出家コンクール参加パス(全演目共通パス)=1500円
当日受付にて参加費をいただきますので、予約の必要はありません。
お問い合わせ
舞台芸術財団演劇人会議
利賀事務所 (7/14より) 0763-68-2216
東京事務所 (7/13まで) 03-3951-4843

募集要項
(募集はすでに終わっています)
◆日本の現代演劇の第一線を担う演出家・劇作家・舞台芸術家による審査
◆最優秀演出家賞は300万円
◆受賞作品は公立劇場などでの上演の可能性
今、日本の演劇界でもっとも待ち望まれている「演出家」の登場を、
舞台芸術財団演劇人会議(JPAF)が強力にバックアップ!
わが国初、演出家のコンクールを実施します。
二次審査の上演空間は、世界の舞台芸術家から羨望の的となっている利賀村の劇場群です。
大都市の無個性な空間によって才能をスポイルされる前に!
この劇場に挑んで下さい。
そして演劇純度100%、何一つきょう雑物のない利賀村で、
存分に創造エネルギーを放射してください。

審査員
<海外戯曲部門>
石澤秀二 伊藤裕夫 鈴木忠志 高田一郎 森秀男
菅孝行 越光照文 平田オリザ 安田雅弘
<国内戯曲部門>
石澤秀二 伊藤裕夫 鈴木忠志 高田一郎 森秀男
衛紀生 原田一樹 宮城聰 山村武善
応募資格
舞台演出家および舞台演出家を目指す方
審査方法
一次審査 書類選考
二次審査 作品上演(2000年8月 富山県利賀芸術公園)
最終審査 作品上演(2000年9月 東京近郊の劇場)
二次・最終審査内容
演出家が自ら組織するグループによって、課題戯曲の中の1作品を選んで上演します。
課題戯曲は、海外戯曲部門と国内戯曲部門があります。
詳細は下記まで。
応募書類の請求
氏名・住所・電話番号を明記して、160円切手を同封の上、下記まで募集要項を御請求ください。
応募締めきり
2000年6月15日木曜日 当日消印有効
募集要項の請求・問い合わせ
(財)舞台芸術財団演劇人会議
TEL:03-3951-4843
FAX:03-3951-5806
ウ161-0033 新宿区下落合2-14-19-302


9/23F 18:30
9/24@ 16:00
能登演劇堂
入場無料

石川県中島町町民劇団第3回公演
「わが町」

原作/ソーントン・ワイルダー
出演/中島町民劇団
構成・演出/原田一樹
アポロ11号、歩行者天国、万国博覧会、三島事件、スマイルバッチ、石油ショック、長島引退、ロッキード事件、竹の子族、ルービックキューブ、ジョン・レノン射殺…
この30年、私たちを本当に豊かにしたものは何でしょう?
誰にでも訪れる生と死、平凡であるが故にかけがえのない日常、その情景を静かに描きだしたワイルダーの名作を、どこにでもある北陸の小さな町、その70年代に舞台を移し替え、「まるか楼の女たち」「銀河鉄道の夜」に引き続き、中島町民劇団が愛情を込めて描きます。
演劇堂に流れる懐かしい時間と、いつか見た風景に、ひととき、想像の翼をあそばせてください。(原田一樹)






俳優座 LABO
「アーズリー家の三姉妹」
サマセット・モーム晩年の異色作
ケント州の寺院で名高いスタンベリーに近い田舎町
アーズリー家の人々と知人達が織りなす人間模様
ひとりひとりの生き方が人生の実相をえぐりだす
そこには安易な解決はなにひとつなく…

演出・原田一樹 
作・サマセット・モーム 
美術・亜飛夢 
照明・森田三郎
出演
松野健一 
中吉卓郎 
阿部百合子 
檜よしえ 他
6/11@〜6/18@ 
一般:3500円 学生:3000円
場所 六本木俳優座5F稽古場
予約・問い合わせ 03-3405-4743


パンフレットより
原田一樹

 丁度この原稿を書こうという時に、ケンブリッジ大学の英文科コースの科目であったシェークスピアが必須を外される方向で検討されているという記事を、いくつかの新聞で見かけました。その理由は、近現代の作家研究にもっと時間を取りたいということ、学生に興味がなく、多くは試験に出る部分の暗記に終わってしまっているということ、の二点で、一六・七世紀の作品がインターネットの時代にそぐわないという意見も出たそうです。
 シェークスピアがイギリスの名門大学の必須科目としてあるべきかどうか、についてはまったく意見を持ちません、が、演劇の現場にいる者の一人としては、あの大作家の作品が過去のものであるかどうかということよりも、インターネットの普及するこの時代に、どんな作家も足元に及ばないほどの上演が、様々な演出でくりかえし行われているというその現実の方が、はるかに現代の文学を読み解く鍵となるような気がします。
 おそらくこれは、学問と実演の違いなのでしょう。学問の世界ではリアルでなくなりつつあるシェークスピアが、実演の世界では限りなくリアルなのです。ギリシャ悲劇がそうであるように、おそらくあと十世紀経っても、シェークスピアはリアルだと思います。
 そしてこのことが同時に、実演、つまり生きものとしての演劇を、今行う、もっとも正当な理由であるべきだと考えています。
 今回、俳優座LABO委員の方々と協議して、1932年初演のわが国ではあまり紹介されていないモームの戯曲を取り上げたのも、この理由によります。
 この作品はたしかに第一次大戦後のイギリスの中流保守層の生活を描くことで成立しています。そこにちりばめられたモーム風の人物配置、モームの戯曲の方法とテクニックは、評価の対象となりえます。しかしこの作品を根底でささえているのは、モームの立ち向かった人と、人の作る関係の不可解さ、矛盾と葛藤の存在に他なりません。おそらくこれは、ギリシャ悲劇の作家たちやシェークスピアが作品創造に向かった衝動と何ら変わりはないでしょう。あとは、私たちがLABOの空間に、この作品からどれだけのリアルを汲み取って、この作品の時間を生き得るか、にかかっています。
 もう一つ付け加えさせて頂ければ、この作品とはじめて出会った時連想したのは、チェーホフの『三人姉妹』よりも、アメリカの作家、ポーの恐怖小説でした。『アッシャー家の崩壊』というその作品は、設定も人物もまるでリアルではありません、が、その救いの無さだけがたまらなくリアルだったことを、今、思い出しています。
 私たちのアーズリー家は崩壊しません。それがリアルです。
 しかし、もちろんこれは、だから救いがあるということでもありません。

■俳優座LABO「アーズリー家の三姉妹」劇評より

 テアトロ8月号 結城雅秀氏

 俳優座LABOの「アーズリー家の三姉妹」なかなか公演の機会のないサマセット・モームの作品。戦争はやはり、戦勝国の場合であっても、人々の暮らしぶりや伝統的価値に相当の影響を与える。第一次世界大戦後の英国においても、戦後の日本程ではないが、古い階級制度が崩壊の過程をたどる様相を示している。アーズリー家の頭であるレナードは表層的な範囲でしか気づいてないが、この家庭崩壊の悲劇にはアイルランドの貧困やスペインの作家ロルカの世界を思わせるものがある。演出の原田一樹は登場人物の葛藤と心理の綾をうまく描いた。
(中略)
 小さくまとまった空間に英国風の居間を配置し、更に、客席の中に二ヶ所の個人的空間を設けた舞台装置は意欲的に出来ていた。
            
 悲劇喜劇9月号「特集・思い出の舞台」より

高田  岡村さんには俳優座LABO「アーズリー家の三姉妹」、サマセット・モーム作、    木下順二訳、原田一樹演出です。キンダースペースの演出家ですね。俳優座以外    の人が俳優座LABOで演出するという。
岡村  結果的には大成功だったと思います。モームの芝居で、これは舞台はイギリス。    一見幸せそうな田舎町の弁護士一家が破壊していく芝居です。
    (中略)
高田  あの狭い稽古場に装置をがっちりと組んで、キャスティングが非常にうまくでき    てたんじゃないかなと。
岡村  いいキャストだったですね。
高田  ええ。
岡村  やっぱりこういう芝居がまだ生きてるといか、他人事ではないというふうにお客    さんは取ってたと思うし。今の日本の家庭と重ね合わせて。
    (中略)
    それぞれが、決してうまくいかないだろうと思う方向に、だんだんと行かざるを    得ないというところがよく表現できていたと思いますね。
高田  そうですね。納得させられます。
岡村  破滅へ目がけて一生懸命生きていくという感じ。





劇団NLT所属。
ギィ・フォワシィシアター、マルセ太郎プロデュース公演などに参加。
92年より黒柳徹子主演「ニノチカ」で太后妃役で共演。96年福井市主催「能ナイト」朝倉百年昔語りに語り部役で出演。
各地で「一人芝居」に挑戦し、長い芸暦を集約させた品格ある芸風が、観客を魅了している。

目黒幸子の語り芝居
「魔術」原作 芥川龍之介
「清貧譚」原作 太宰治
胸許においた手を差し伸ばす
踏み出す足の一歩一歩…
時は移る、時は過ぎる
その宙で、まどい・えらび・任せる
……風は動く……
この倖せな出逢いを頂いて
大作家の二編で遊んでみよう

演出・原田一樹 
美術・小野寺綾乃 照明・小林勇樹 音響・小林史 舞台監督 竹内一貴
6/3F 19:00開演 6/4@ 15:00開演
(開場は開演の30分前)
前売:3000円 当日:3500円(全席自由)
場所 コア石響(しゃっきょう)
予約・問い合わせ コア石響(しゃっきょう)事務局
 03-3355-5554
fax 03-3226-9460

http://members.aol.com/wiay/
素敵な舞台写真入りで評が掲載されています。是非御覧ください。 B

 パンフレットより
原田一樹
 キリスト教作家、矢代静一氏の「夜明けに消えた」という前期の代表作に、目黒さんに出演して頂いたことがあった。目黒さんの役は、イエスが現われた当時のエルサレム、キリスト教の弾圧で息子を失った老婆で、これも妻を火あぶりから救うことが出来ず、しかもそのショックによる狂気の中で助けを乞う瀕死の妻を見捨ててきた主人公との、ほんの一時の邂逅が登場の全てであった。この時の目黒さんの演技が忘れられない。
 という言い方には誤解がありそうだから付け加えたいが、こういった時の演技とは、どう台詞を言ったとか、どういう身振りをしたかということではない。何と向き合っていたか、どんな世界のなかに身を置いていたか、ということである。天国に酒があるか、という会話で、酒が無くてなんで天国だという主人公に、酒が必要ないから天国だ、と言うのんべの老婆、女優目黒幸子の想像力による、自らの身の置きどころに感動させられるのである。
 目黒さんとは時々お酒の席にご一緒させて頂く。「夜明けに消えた」の稽古中でも、照明家が来て、確か池ノ上の鉄板焼き屋で飲んだ。その時目黒さんは冷えすぎた生ビールの刺激を中和するために、傍の割り箸でジョッキをかきまぜた。当然、あふれる泡で鉄板は水浸しになり大騒ぎになった。酔っていたのではない、一杯目だった。これはこれで、大変感動させられたのを覚えている。



劇団NLT
「緋い記憶」
生まれ故郷の古い住宅地図、しかしそこには、あの少女の家だけがなぜか記されていない。自分で封印したはずの、少女との記憶。しかし、幾重に鍵をかけても、記憶から逃れることは出来ない。罪に時効はあっても、記憶に時効はないのだ。同窓会を口実に故郷を訪ねた主人公の、隠された過去。封印した記憶の扉が一つずつ開かれていく。
そして今、「緋色の部屋」の扉が…

演出・原田一樹 
作・高橋克彦 
美術・松野潤 
照明・森田三郎
出演
平松慎吾
山田登是
田中優輔 他
5/10〜18
          
場所 銀座みゆき館劇場
予約・問い合わせ 03-5363-6048

パンフレットより
原田一樹
 タイムマシンの矛盾についての話があります。ある殺人鬼がタイムマシンに乗り、少年時代の自分に会い、これを殺してしまったとします。すると、その殺人鬼である本人はその少年の将来の姿であるのですから当然そこに存在するはずがなく、その瞬間に消えてなくなってしまうわけです。しかし消えてなくなれば、その少年も殺されることはなく、殺人鬼も復活し、殺人が行なわれ、少年は殺され…。これがいわゆるパラドックス(論理矛盾)なのですが、考えてみれば、私たちは実人生において、この種の迷宮の一歩手前の矛盾を平気で生きているような気がします。
 私たちはたいてい記憶を自分に都合のいいように編集しています。自分の犯してしまった罪は、誰かに見つけられるまでは罪ではありません。また、もし私たちが心の深奥で持っている欲望や妄想の全てが白日の元、他人の目の前に形を持ってさらされるとしたら、きっと生きてはいられません。つまり、人は、どんな罪でも、どんな恐ろしいことでも、可能性としてはなしうる存在なのです。そして、おそらくそこにこそ、物語の存在する理由があります。物語の中でなら、人はかなり恐ろしいことにも堪えられます。それどころか、これ以上はない恐怖の物語がある等と耳にすれば、大抵聞かずにはいられません。きっと私たちは、実人生で迷い込んでしまうかも知れないそういった恐怖の深淵に、物語(=フィクション)という地図を与え、わけいってはならない道として刻印することで、なんとか日々の平衡を保っているのです。
 今回、「緋い記憶」という見事な地図を与えてくださった、高橋克彦さん、企画の工藤さん、そしてNLTの皆さんに感謝いたします(もちろんこれは本心です)。そして、気心の知れたNLTの俳優の方たち(これは演出家の妄想かも知れません)と、再び仕事が出来ることに、興奮しています。


方の会
「異本 竹取物語」

演出・原田一樹 
作・榊原政常 
美術・松野潤 
照明・森田三郎
出演
狭間鉄
福田治

2/24〜27
          
場所 シアターVアカサカ

パンフレットより
原田一樹
 恋愛というものは、種の保存に元来必要なものであるのか、という疑問があります。男女が愛し合い、子をもうけ、その子に愛情を注ぎ育てるということは一見種の保存の法則にかなっているようですが、これは一対一の男女のペアが正確に一致した場合の話であって、恋愛のほとんどが三角関係や、失恋、嫉妬、支配欲や略奪愛、また同性への愛や、かなわぬ愛といった要素を含む以上、効率的な生殖に愛は邪魔なのではないかというのがその論拠です。
 たしかに、人は嫉妬によって人に殺したり、愛するものを守るために戦争したりしています。人がいつか滅亡するとしたら恐怖の大王の所為ではなく、愛によってかも知れません。
 しかし、もう一方でこういう学説もあります。生物が合成と分裂によって始めて石や水、大気といった元素だけの無機物から、同じ原料による生きものとなったとき、その生ものの生きていくエネルギーの核となるものは淋しさの否定である、という学説です。
 ちょっと気を抜くとすぐ無生物になってしまう苛酷な世界の中で、ひとつの蛋白質の細胞が分裂を繰り返し続けられたのは、淋しくなりたくない、一人ではないぞという思いに駆り立てられていたから、と言うのですが、これは愛を求める行為と似てないこともありません。
 いずれにせよ、もしこの地球上最初の生物が自分は無機物ではないという頑張りを持たなければ、人も、ライオンも鷲も、水にすむ無言の魚も、人の目に見えない微生物も存在しなかった訳で、それこそ哀れな月だけが虚しく明かりを灯すということになり、やはり愛はそれが過剰なものであれ必要だったのです。
 さて、今回、方の会は「異本竹取物語」を取り上げました。
 榊原政常氏によるわが国最古の物語の戯曲化は「異本」となっていますが、その大筋は元本の「竹取物語」の核心を異にしていません。今回はさらに少なくないテキストレージをさせていただきましたが、それでも榊原氏のつけた核心への道筋から逃れていないつもりです。
 これは逆に言うと、元本の「竹取物語」がそれだけの象徴性と、普遍性を持ち、さまざまな読み替え、読み込みに耐えうる、示唆と暗喩に富んだすぐれた作品だということに他なりません。
 私たちの先達は、人の出会いと分かれ、存在と無、愛と欲望についてのすぐれた文学を私たちに残してくれました。愛と感謝を捧げます。



The 30'S
Smoky Chat
演出・原田一樹 
作・春日亀千尋/松永麻里/深水みゆき/越智絵理花 
美術・松野潤 
照明・森田三郎
出演
春日亀千尋/松永麻里/深水みゆき/越智絵理花
2/10〜13
          
場所 銀座小劇場

パンフレットより
原田一樹
The 30's賛江
 それぞれ演劇経験の違う30代の女優が四人で作っているというあなたたちThe 30'sのことを知ったのは、いまから三年ほど前です。
 その時はそのあり方についてさほど思うこともなかったのですが、共に作品づくりをしようという段になって、女性であるということ、30代であるということがThe 30'sという集団の、そして、創造していく作品のコンセプトであるべきだと、すくなくとも季節限定関係者の一人としては考えるようになりました。
「今の世の中は、30代の女性にとってどういうものであるのか。」
「30代の女性は、今の世の中にとってどういうものであるのか。」
 このことを演劇を通して突き詰めていくことが、The 30'sの活動の意味であり、逆に言えば、この限定にこそ、The 30'sが普遍的な演劇のテーマを獲得していく方法があります。
 と、言うようなことを提案した結果今回のような創作スタイルを選ばざるを得なくなったあなたたちはいつもの創作業務に加え、共通のテーマを持ち、別々のアプローチで本を書き、それをまとめるという初の試みにそれこそ眠れぬ夜を過ごしたことでしょう。
 しかしこれは演劇というものの全体を知っていく上で、また四人のそれぞれの演劇的な考え方の差異と共有を確認しあっていく上で、貴重な経験であることはまちがいありません。
 今回このやり方が上手く行っているのかどうか、これからのこのやり方で創作を続けていけるのかどうか、たしかに課題はたくさん残っています。が、一つの継続するコンセプトと追い求めるべきテーマを持っているということは、一人の作歌の作品に寄り掛からざるを得ない小さな劇団や、企画立案に追われ作品ごとに申請書類のたろり上演意図をあと付けしているような大きな劇団の情況と比べればはるかに創造性にあふれているといえます。
 The 30'sのみなさん、季節限定を盾にとって無責任に言うわけではありませんが、今回試みたやり方をぜひあともう何年か試してみることをお薦めします。
 30'sが40'sとなり、50'sとなって実を結ぶ、ということがあれば、これはきっと演劇界にとっても大きな収穫であるはずですから。

 ■テアトロ2000年4月号 浦崎浩實

 春は「笑い」から。というわけでもないが、小劇場系は春夏秋冬「笑い」は欠かせない。まず出演者四人による共作、原田一樹演出The 30'S「Smoky Chat」は、望外のおもしろさ。共学の高校が舞台で、ここの同世代の女性教師四人が理科実験室をたまり場に、自分たちが公私に抱える問題を戦わせる。彼女たちの発言は劇の台詞として白熱、しかも笑いを呼び込む余裕があり、タテマエから自由であろうとする彼女たちの願望が、そのまま劇の開放感につながっていくのだ。

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