1985年 <新劇9月号 > 
       衛紀生氏 「ファイナルチャンピオン」 劇評より

軽さを武器にすることにかけては、かねがね評価していた原田一樹が劇団キンダースペースを作り「ファイナルチャンピオン」で旗上げした。この作家の創り出す世界を目の当たりにすると、なるほど軽さは武器になるのだと、納得させられる。この作家の巧みさは、舞台上に流れる2つの時間を、互いにもう一方の時空を明らかにするように仕組む構成力と、漫画的・寓話的な世界を描きながら、そこにとどまらず我々の世界のリアルなテーマにまで観客を連行する、希有な才能である。 

1985年 <ROUND UP OOZE No.8号> 
       山村基毅氏 「ファイナルチャンピオン」 劇評より

劇団キンダースペースの旗揚げ公演が行われた。
演目は「ファイナルチャンピオン」。
代表であり、劇団の作・演出を担当する原田一樹氏はかつて数本の作品をものにしている。そのうちの1本「広場の孤独」(U快連邦 上演)は印象に残っている。三人の登場人物が、自らの過去と現在をオーバーラップさせつつ、確実に彼ら(=若者)の現在(いま)を表出させる。そして舞台は三人芝居の態を取りながら実際はたったひとりの科白によって進行していく。主演の村田浩一の力技と相まって非常に感激したことを覚えている。さらに原田氏には、「1999年のブーとフーとウー」「2つのダイアモンド」(共作・鈴木完一郎 青年座上演)等の佳作もある。
 で、この「キンダースペース」であるが、原田氏ら、五名が新たなる演劇表現を求めて結成した。
「ファイナルチャンピオン」は、共同主観のドラマである。かつての記憶の物語である。そう言いきってしまっても構わないと思う。
 主人公・倉本総一郎は漫画家である。彼が漫画を描き始め、描き疲れ、そしてふたたび始めるまでのドラマである。そのあいだに彼の様々な過去、現在が入り混じる。父との確執、姉との別離、恋人との出会い、そして別れ、親友の死……。
 いっけん波瀾万丈であるがその実誰もが少なからず経験していることの数々である。 細かいストーリーを追うことは、何の意味もない。その瞬間瞬間の場面こそ意味がある。
 主人公が何となく漫画家になり、何となく恋人ができ”行き続け”ていくという、ありふれた日常生活のシチュエーションが展開される。ほろずっぱい、と表現するのが最も適切かと思う。思い返すだに恥ずかしい記憶は、実は現在の私たちそのものでもある。
「キンダースペースは走り出した」とチラシにはある。演劇界のくだらない枠組みにとらわれず爆走して貰いたいと思う。