「私が私を許すの」というヴィニーのセリフ
なんて、強い孤独にあふれてるのだろうと痛かった
愛の存在を感じられなかった子供は
愛を疑うことには敏感だけど、
愛されてることには悲しいほどに鈍感だ
なのに愛されることを死ぬほどのぞむ
とても悲しい繰り返し

そんな子供の心が
親の都合で簡単に無視されてしまう
親も自分のことでいっぱいいっぱいだと
ついついおざなりにしてしまう
子供だからと油断するのかもしれない
でも、それを敏感に子供は感じ取る
そして孤独を強くする

そんな孤独をかかえることもできずに、さみしそうに
庭にたたずむ幼いころのヴィニーの想念が
常に浮かびあがっているようで、なんだかずっと泣いていた

セスだけは気づいていたような気がして
セスの愛に気づくことができていたら
何かが違っていたんじゃないかと思ったり

言葉だけじゃなくて、どんな視線を向けられても
それがたとえ、自分の夫の嫌な部分とかぶさったとしても
「大丈夫、大丈夫」と、ふりはろうとする手さえも包み込んで
「愛してる」と全身で伝えながら抱きしめ続けてあげてほしかった

でもその母も、夫からの愛に餓えていて、
その寂しさが息子への偏愛につながり
さらに娘との溝を深めて
息子は母の愛を一身に受けて母に似ていき
母を憎む娘には、もう父しか居なくて、その父を偏愛していく
そして母を憎むたびに、自分をもすこしづつ壊していく
憎い憎いと言いつつ、愛して愛してと叫んでる

父は一見、「一緒にやり直そう」なんて言葉を使いつつも
その妻に仕向けているのは命令でしかない
言ってることとやってることが違うから混乱する
そして命令に従わないと、裏切りだと、信じていたのにと言う

クリスティーヌが夫を殺してしまったのは
毒薬を手に入れて計画はしていたものの
ほんの弾みでしかなくて、だからこそ怖かった
エズラが発作を起こしたのは妻の不貞を知ったからだけど
そこまで追い込んだのはエズラ自身かもしれないし
エズラが発作を起こしたときに、クリスティーヌは本気で心配して
薬をさがしていたのに、ふいに毒薬の入ったビンが目にはいってしまったから
魔が差してしまったように思えたから
そんな偶然やら必然の中で、ふいに悪魔に隙を衝かれて
思いもよらない罪を犯してしまう可能性は誰にだってある
そして犯してしまった罪を、もう犯してしまったのだからと
その先に求めていたものを、何としても手に入れなければと
自分で自分を追い込んでいく

そしてその追い込んでいく姿をさらしてしまい
さらにまわりのものの怒りを助長させていく

母に似ていた息子が父の姿に重なっていき
母を憎んでいたはずの娘が母のようになっていく
同じことの繰り返し
同じ場面の繰り返し
正義の名の下で行う罪の繰り返し

いろいろな悲しみの連鎖にあふれていて
どこでとめたら、どこでとめられるのかと
ぐいぐいと引き込まれていった

ただ幸せになりたいだけなのに
ただ愛されたいだけなのに
どうしてこんなにもつらく、大変なことになるんだろう

それは自己愛からくるものだから?
自分での視点でしか周りが見れてないから?
まだまだ考えなきゃいけないことが
いっぱいいっぱいあって
大きな課題をつきつけられたような気がした

ヴィニーはあんなにして守ろうとしたマノン家の血筋を閉ざすことで
決着をつけたんだろうか。。。
その決断を何も言わず寛容したセスが、やはり救いのような気がするのです

セスのような人に
そしてセスのような人の寛容さに気づくことが出来る
疑うよりも、愛されてることに敏感になれる
そういう人になれるように
愛を、言葉ではなくて、身体全部で伝えていきたい
伝えて欲しい

そんなことを思って、また泣いた