ギリシャ悲劇題材に
「愛されぬ苦しみ」描く


聖教新聞 2002年12月17日火曜日

今城裕治・演出家

 作者のユージン・オニールは「近代アメリカの父」と言われるノーベル賞作家。彼の作品にはギリシャ悲劇を題材にしたものが多く、この物語も「オレスティア」を題材として南北戦争直後の地方の裕福な家庭の愛憎と、崩壊してゆく人間を描いている。 
 ラヴィニア(エレクトラ)は父を死に追いやった母への復讐という正義の名の下に、戦場から帰ってきた弟オリンを駆り立て、母の愛人を殺させ、母自身を自殺に追い込む。これが弟の崩壊のきっかけとなって、弟もまた自殺。最後に残ったラヴィニアもまた、世間との関係を断ち切るため、外から自分のいる部屋を封印して劇は終わる。
 舞台は中央に裕福な家の一部屋を配置し、上手下手に道を造っている。まさにギリシャの野外劇場を意識しており、家を囲むようにその他の登場人物が行き来し、この家族の物語を噂話のように言い合う。それはギリシャ悲劇に登場する群衆(コロス)の役割であり、原田一樹の演出は原作を読み込んだ上で、作者オニールの中にあるギリシャ悲劇の本質を浮かび上がらせようとする。
 道徳や常識とは大多数の人間の最大公約数として決めた生活のルールである。しかし人間には、そこに収まらない情念が渦巻いている。だからこそ、生きてゆくには自分を受け入れてくれる人の存在ほど、素晴らしく大切なものはない。
 人はそれを守るためには命をも賭ける。夫は妻に対し、息子は母に対し、娘は恋人に対して。モラルを超えて、自分の存在を認めてほしいと願う人間の苦しさが、そしてそれが受け入れられない切なさがこの舞台を緊張感溢れるものにしている。
 多様化する社会にあって、認められない者の悲しさと危うさが、決して人ごとではない怖さを感じさせる舞台である。再演が望まれる。

三時間の力業に拍手!
(シアターX批評通信12号)

山本洋三・教員

 キンダースペースの力業である。三時間にも及ぶ時間が、「愛している」「愛していない」「本当はあなたは私を愛してない」といった、観念的なセリフに埋め尽くされる。人間の愛と欲望が破滅にむかってギリギリ問いつめられていく。
 「わたしには人を愛する権利があるの」と、母親であるクリスティンもいい、その娘ラヴィニアもいう。「人を愛する」ということにおいて彼らは懸命に自己を確立しようとする。悲劇はそこから生まれる。なぜなら、愛とは、自己を捧げることであり、愛において「わたし」は消えねばならないはずだからだ。西欧人にとって愛がどうしても罪になってしまうのは、「愛に生きる自分」を愛しすぎるからだ。そのことをこの芝居は雄弁に語っている。愛すれば愛するほど、相手を傷つけ、追い込み、自分も破滅してしまう。そのメカニズムをギリシャ人はよく知っていたのだ。だが、「汝自身を知れ」という神託が示すように、「自分」こそが最大のテーマだった彼らは、その罪に雄々しく
向き合うことにしか救いを見いだせなかったのだろう。
 ピューリタニズムもまたそうした「自我中心」を免れなかった。「神の前の自分」がいつも意識されたからだ。「愛する自分」に「正しい自分」が加わり、絶対的な自己ともいうべきものが追求されたのだ。ラヴィニアの悲劇は、「この自分などどうでもいい。」と思えなかったところにあるのだろう。
 日本人だって「この自分などどうでもいい」などとは簡単に思えるものではないけれど、こんなにも「愛する自分」に自己のアイデンティティを賭けたりはしないだろう。ここまで徹底した精神と肉体を持っていない。そんな気がする。だからこそ、この芝居を日本人が演じるのは「力業」だというのだ。
 ギリシャ悲劇をもとに、アメリカ人が作った芝居を、日本人が演じる。日本人の役者の肉体を通じて、アメリカのピューリタニズムが、そしてその向こうにギリシャの暗い運命観がかすかに見えた。そう、かすかであれ、見えたということはたいしたことなのだ。役者のすべてに、もっともっと、人間の心の深淵が露呈してくるような演技と肉体が求められるところだが、それぞれの役者には精一杯の努力のあとがみられて、むしろすがすがしかった。
 まるで能舞台のような空間に繰り広げられる愛と葛藤のドラマ。次々に舞台に現れる人間は、その葛藤のうちに滅びてゆく。ひとりまたひとりと、この四角い舞台から去っていくたびに、能舞台の空間に近づいていくのを感じた。そして「幽霊が出る家」となったとき、その能舞台は完成した。人間の妄執が濃密にただよう空間だ。見事な終幕だった。
 キンダースペースの芝居はその初期の頃から観ているが、近年の堂々たる芝居の数々には、軽くて笑えるものを求める時代の潮流に逆らって、人間の生き方を真っ向から追求しようという強い志を感じる。今後もその舞台の更なる充実を刮目して待ちたいと思う。

 山本洋三 私立栄光学園中学高等学校国語科教諭。
       同校演劇部顧問。

えれくとら」アンケートより

■とても骨格のしっかりした見ごたえのある芝居でした。長時間であったが時間を感じさせなかった。装置・音楽・衣装・照明もなかなかすばらしかった。おつかれさま。ありがとうございました。(男性)

■正直、こんなにシリアスな舞台を観たのは初めてなので何と言っていいかわからないのですが、とにかく次の展開が気になって仕方がありませんでした。自分もその場に一緒にいるような感覚ですごく緊張しました。オリンが自殺する場面とヴィニーが家に閉じこもる場面が凄く印象的でした。
(俳優 男性)

■神を失っていながら、神を信じない、という形で、神を信じている以上に神に縛られている人達、という辺りの圧迫感が非常に鮮明に表された作品だなと思いました。
また、キャラクターを滑稽なまでに単純化し、ディフォルメしていたところが、舞台を客席からわざと離し、孤立したものにしたこともあいまって、まるで人形劇のような閉鎖的なおかしさと不気味さをかもし出していて、非常に興味深かったです。どうもありがとうございました。(俳優 男性)

■近代の終わりと、一族の歴史の終わりを大量のせりふで丁寧に重ね塗り的にうまく描いた。【南の島】は前近代の象徴でしょうか? 知的に構成されていながら、十分に潤いもあり、楽しめました。(会社員 男性)

■お父さんの人柄が最初はイヤな人なのかと思っていたのに、その人の登場から人柄が誠実な人なんだと思い、その人とやり直せないクリスティンがかわいそうだった。最後までヴィニーが屋敷とマノン家にとらわれていて、開放してあげたいと思った。(学生 女性)

■今回の作品は自分にとってよいお話だった気がします。それと舞台セットが素敵で良かったです。音も好きでした。これからもこのような深い作品作りに期待しています。
(女性)

■とても人間の心の奥深い部分をついていて、すごくドロドロした内容ではあるのに、すごく好きです。何とも言えない(言葉には表せない)ほど、すごくよかったです。お疲れ様でした。(学生 女性)

■さすがに人間というものを考えてしまいました。人の心の中に必ず入っているものだと思います。愛が深いほど、また人は憎しみも深いものだと思いました。今日は来てよかったです。とても面白かった。(男性)