劇団キンダースペース
上演台本販売

劇団キンダースペース上演台本の販売をいたします。
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台本は劇団公演の際に販売しているものと同じで、コピー用紙に印刷
したものを表紙をつけて綴じたものです。

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原田一樹 作品一覧

「ファイナル・
チャンピオン」

「木星号帰還せず」

「若きウェルテルの
悩み」

「−少年探偵団−
透明博士」

「罪と罰」

「ブラボー!火星人」

「BUCHI・
KORO」

「時代
−decade-」

「逃げ去る恋 
−Get Away−」

「1999年の
ブーとフーとウー」

「Three Piggies」 「Three Piggies」
英語版

「3×3 
−three times three−」

「窓」

「マクベス」

「部屋=ROOM」

「残酷な17才」

「犬のいる庭」

「お父さんの恋人」

「ファイナル・チャンピオン」

 1985年、劇団キンダースペース旗揚げ作品。
 ある漫画家の描く少年漫画「まぼろし仮面」の世界と、彼自身の日常、彼をとり巻く人間関係が、時間・空間を超えて錯綜する。
 世界を救うヒーローを描こうとする自分自身すら、救うことのできない作者。現実と空想、過去と未来、個人と世界……
 幾層にも展開するドラマは、捉えようのない私たちの現代の姿でもある。

 ’85.’87.’90年上演作品 1’30”

「木星号帰還せず」

 一人の老人が四畳半の茶の間でテレビを見ている。彼の見るワイドショー、昼メロ、子供向け理科教室、青春ドラマ、CM。それらは彼にとってそのまま現実の世界であり、彼は混迷する人類を救うべく四畳半の宇宙船で宇宙へと旅立つ。が、船は軌道を離れることなく故障。地球の周りを、ただスピードを上げ廻る船の中で、彼の見たものは、一つの惑星の文明が生まれ、亡び、もう一度生命の生まれる、その瞬間であった。

 ’86.’87上演作品 1’30”

「若きウェルテルの悩み」

 鉄棒、イチョウの樹、廊下、音楽室のピアノ、机の傷、壁にはられた世界地図、掃除用具、黒板、放課後の校庭。
 ゲーテの「若きウェルテルの悩み」を、小学校四年生、10才の一年間の物語に置き換えて描いた、キンダースペースの代表作の一つ。
 大人は登場せず10才の子供たちの世界の中で、ゲーテの描き出した欲望、初恋、失恋、世界への不信、人間への思いがからみ合う。
 「人間という奴が毎日苦しんでいるのを見ると気の毒になってしまい、わたし(メフィスト)でさえ、あの哀れな連中をいじめるのがいやになります。(ゲーテ「ファウスト天上の序曲」より)

 ’87.88.89.95年上演作品 1’30”

「−少年探偵団−透明博士」

 昭和30年、まだいたる所に広場があり、放置された建築資材、土管やドラム管、こわれた冷蔵庫等が子供たちの秘密基地であり、街の中に数多くの謎が存在していた頃、江戸川乱歩の描く世界はそのまま、私たちの現実の世界だった。
その後、変容していく風景の中で、狂っていったのは大人達の方なのか、それとも世界の方だったのか。

 ’88年上演作品 1’40”

「罪と罰」

 獄中でドストエフスキーを読み人類愛に目覚めた、振興の暴力団のチンピラヤクザ。若い者を犠牲にして私欲の実現を計る組長、その組長を狙撃しようとする同僚のチンピラ、抗争する暴力団へ寝がえろうとする幹部のヤクザ、組長を利用し時分の店を持とうとするかつての恋人、等、彼をめぐる人間関係とそれぞれの思惑の中で迎えるクリスマスパーティー。クリスマスツリーには、組長狙撃のためのピース缶爆弾が仕掛けられている。

 ’88年上演作品 2’00”

「ブラボー!火星人」

 ペットショップ経営を夢見るお父さん、ピザが大好きなお母さん、大学受験の長男の一郎、心やさしい次男の浩二、恋する年頃の末っ子杏。
 お父さんの脱サラで、ごく普通のこの一家はごく普通のペットショップを家族でやっていくことになりました。けれど、ただ一つ変わっていたのは、長男の一郎は火星人だったのです。

 ’89年上演作品 1’45”

「BUCHI・KORO」

 バクチをめぐる人間模様。
いつまで待ってもやって来ない四人目を待ち続ける麻雀のメンバー。うまくいき過ぎて逃げざるを得なくなるノミヤの男。かつての彼女の家にバクチで負けたと偽って金を借りにくる学生。

 人生最大の魅力、それは賭博の魅力である。 〜ドストエフスキー〜

 ’91年上演作品 1’30”

「時代−decade」

 1989,1月7日、この日に何があったのか、そして、この日を境にして人々はどう変わったのか、あるいは変わらなかったのか。
 昭和最後の日から10年の年月をさかのぼって、四つの“関係”の物語を描くオムニバス。この10年の間に私たちは、何を忘れてしまっているのだろうか。

 ’92年上演作品 1’45”

「逃げ去る恋 −Get Away−」

 欲望とは何なのか、人は欲望がなければ進歩しないのか。
 E.オニール作“皇帝ジョーンズ”のモチーフをちりばめ、一軒の焼肉屋を舞台に、その床の上……人間たちの店の権利と金、恋をめぐる欲望のドラマと、その床のした……ネズミたちの縄張り争いをめぐる欲望のドラマが同時に進行する。

 ’93年上演作品 1’45”

1999年のブーとフーとウー」

 狼を失ったあと、三匹の子豚たちはどこへいくのか? カクメイを失ったあと、三人のカクメイカたちはどこへいくのか? ’72年、連合赤軍による総括・リンチ殺人事件を、NHK子供番組「ブーフーウー」と重ね合わせて描く、ブラックフェアリーテール。

 (’82 U快連邦初演)’87.’94’.95上演作品 1’15”

「Three Piggies」    
「Three Piggies」英語版

 狼を失ったあと、三匹の子豚たちはどこへ行くのか。革命を失ったあと、三人のレッドアーミーはどこへ行くのか。劇団キンダースペース’87年度上演作品を、米シェナンアートでのワークショップ、ヴァージニア・プレイライト・リトリートでの上演用に、英語版として書きかえた作品。ヴァージニアでは、三人の黒人俳優によって“三匹の子豚と三人の革命家”、日系人によって“MC”、15才の白人高校生によって“次男の子豚の恋人”が演じられた。
 また、この作品を再び翻訳し、キンダースペースアトリエでも上演。

 ’91年 [ヴァージニア・プレイライト・リトリート]  
 ’94年 劇団キンダースペース上演作品 1’15”

「3×3 −three times three−」

 ドラマとは関係の作る時間である。「男・女・女」「女・男・男」「男・女・男・女」の三つの三角関係のやりとりを、舞台を三つのスペースに分け、同時に描くオムニバス。キンダースペースのオムニバスドラマの第四弾。ドラマとドラマの向こうに、私たちのいる世界の網の目が見えてくる。
 ’93上演作品 1’40”

「窓」
 
 ハロルド・ピンターの「背信」の構造を下敷きに、場面ごとに時間が過去に戻っていく。人が恋をする、その二人の今後を観客があらかじめ知っている時、それでも恋をするという行為を繰り返す人間の存在を、距離を置き、ながめてみることで、人が絶対に恋という不思議から逃れられないことを知る。
 ’
96年上演作品 1’40”

「マクベス」

 “人は何故人を殺すのか”“人にとって、人を殺すというのはどういうことなのか?
 シェークスピアの「マクベス」を“ひとごろし”という視点からとらえ、三つの小さな部屋の中で、交互にそして連鎖して展開していく物語。

 それぞれの部屋には「予言の重圧に耐えられなかったマクベス」と「狂気に至るマクベス夫人」そして「自らも“マクベス”になり得るという思いを否定するためにマクベス殺しを実行するマクダフ」が存在する。 
三つの「殺意」の壁の向こう側には、ひっそりと鳴りつづけるコオロギの羽音が……

 ’96年上演作品 1’45”

「部屋=ROOM」

 寸分違わずに造られた、窓、ロフト、キッチン、クローゼット。同じ部屋が積み木のように並ぶワンルームマンション。その四つの部屋で、四つの人間関係のドラマが進行する。彼等に共通するのは、窓から差す陽の光、街から聞こえてくる騒音、過ぎていく時間、すれ違う関係。

 オムニバス四話 ’92.’93.95上演作品 1’40” 

「残酷な17才」

 昭和35年、山口二矢による当時の社会党委員浅沼稲次郎刺殺事件と、平成という今の時代に生きる一人の無名の若者の姿とを、交互に、そして重ねあわせて描く。
 自らのエネルギーを一つの思想も形もある行為に結実させようとする、山口二矢という17才の少年のドラマと、現在の透明な閉塞の中で、その実を結ばせる場所を失い続けていく現在の青年のドラマを、同じ演技空間で、時制を超えてからみあう一つの物語として組み立てる。      

 ’97年上演作品 2’10”

「犬のいる庭」

 坂口安吾の短篇「恋をしに行く」「青鬼の褌を洗う女」等から発想のヒントを得、人間存在の本質的な「不安」にせまろうとする作品。
 古い一軒家に住み犬を飼う女「セツコ」、その愛人の「社長」と部下の「津田」、この家に出入りする「郵便局員」、セツコのかつての同僚「ノブコ」。
ストーリーによるドラマをなるべく抑え、お互いそこにはいない相手に向かって言葉をはきだしつづけるモノローグによって、安吾の孤独と登場人物の孤独を舞台に引き出していく。

 ’92[演劇集団方の会]上演 
 ’98年上演作品 1’20”

「お父さんの恋人」

 夏目漱石の「行人」の、弟と兄と兄嫁の三角関係を現代に置き換え、弟の引っ越し、原作ではたった二頁で書かれているその引っ越しの一日を描いた作品。誰もがその“関係”を意志しながら、誰もがその“関係”について触れたがらない。すべての荷物が運び出され、弟本人が出ていくその時に、彼らの“関係”の緊張感はピークに達する。

 ’93.98年上演作品 1’20”