【チェーホフのこと 内田健介君のこと 】


牧原 純(チェーホフ研究)


アントン・チェーホフはちょうど30歳の境目の年に、地の果てシベリアとサハリンの流刑地をめぐり、重罪犯の囚人たちやその家族の生活実態調査に没頭した。陸も海も氷に閉ざされる真冬をのぞくほぼ一年を、悪路の幌馬車と川船の旅ですごした。そしてモスクワに帰り着くと3ヶ月後にはもう、ペテルブルグの出版王スヴォーリンに誘われて、国際列車の一等車でウイーンからヴェネチア、フィレンツェ、パリとヨーロッパの絢爛たる歴史と文化にひたり、ニースではカジノのルーレットにも興じた。彼はこの一年間(1890年4月〜91年5月)に、いわば地獄と天国を体感したわけだ。

 その後彼は、旅で損なわれた健康(結核)を取りもどすためもあって、都会の喧騒からはなれ、モスクワの西南70キロほどのメーリホヴォ村に、荒れ果てた地主屋敷を借金で買取り、一家を挙げて移り住む。なんの変哲もない雑木林と、ゆったり流れる小川と、古びた池に囲まれながら、村医者と作家の二役に精力的に取り組んだ。そのかたわら、たくさんの果樹を植え、花壇をととのえ、門から母屋までライラックの並木道をとおし、魚釣りにも興じ、三角屋根のこじんまりした書斎も建てた。「かもめ」の舞台装置そのままのような、瀟洒なたたずまいに様変わりしたチェーホフ邸には、仲間の作家や編集者たち、画家や俳優、妹マーシャの女友達・・・がひきもきらず泊まりに押しかけるようになる。
 ドクトル・チェーホフのもとには百姓たちが朝早くから診察・治療をうけにやってくる。医師として様々な患者との対応は、作家にとっては、小説や戯曲の無尽蔵の題材となった。チェーホフが描く作品は、以前とかわらず、いま目の前にある普通の日常の断片から一歩も出ることはない。しかし、その観察と洞察は、天国と地獄を経てきた作家の視点、視線、視野の奥深さを如実にものがたっている。作家は、それを<喜劇>とよぶ。  チェーホフが数多くの名作を書き上げ、作家としても医師としても一番充実したのがこのメーリホヴォ時代だったといえよう。

今度、新進気鋭のチェーホフ研究者・内田健介君が劇団キンダースペースのために書き下ろす戯曲「チェーフ的チェーホフ」も、おそらくこのメーリホヴォ時代の作品群がもとになっているだろう。5年ほど前から両国・シアターX(かい)で、ほぼ毎月の第4土曜日に集まる「チェーホフ研究会」がもう50回以上続いている。その都度テーマをきめて誰かが研究や薀蓄を発表したり、舞台創造の体験を語ったり、チェーホフの作品を輪読したり・・・という、チェーホフ的で堅苦しくない集まりだ。若手代表のような内田健介君がいま企画運営の中心メンバーになっている。彼はチェーホフの作品を初期の短編から晩年の戯曲まで幅広く、地道に奥深く読み込んでいる。近頃目につく、知ったかぶりの浅薄なチェーホフ論者とはちがう。来年はモスクワ留学もきまっているそうで、彼のこの処女戯曲もふく

めて、今後の活躍の場がさらに広がり深まることを心から期待しています。