『フェードル』いただいた感想【4件】

■真田真様

キンダースペース、フェードル。楽日。重い骨太のギリシア劇。制約と激情。恋愛と緊張。俳優。演技。台詞。傍ら言葉も人間関係もまるで違う現代。交錯、対比。階段を配した立体的舞台。キレよく変化する照明。ドラマを煽る音響。全ての融合が進み、完成した格調高い演劇。


■斉藤真起様

劇団の30周年記念の集大成として講演されたこの舞台は、
主役のフェードル(瀬田ひろ美さん)に「(それでも)恋せよ!」と叫ばれているような舞台でした。

ギリシャ悲劇のなかの誓約(制約)に縛られるが故に成就しない恋に、現代の自由でありながら生身をさらせない不自由(制約)にくずおれる男女が重ねられながらストーリーはつづられます。
かたや極めてプラトニックでかたや肉欲的に。
悲劇の引き金となった「恋」は必ずしも人と人との間に芽生える想いばかりでなく、生き方や希望や欲望全てに思え、だから悲劇であろうと「恋せよ!」と私の中に響くのかもしれません。

フェードルに仕え自死にいたる女従者エノーヌ(古木杏子さん)に見える愛は、キンダースペースと瀬田ひろ美さんの30年への愛に重なるように見えました。

狂気をも弱さをも受けとめて立つ瀬田ひろ美さんのフェードル。凛として強くて美しかったです。

あ〜!
私も思う存分生きたいように生きるぞっと、明日からの仕事の段取りに思い巡らせて心地よく眠りにつきます。


■松村千絵様

観てきました。面白かった!

女は面倒くさい生き物でかくいう私もとても面倒くさい女ですが
主人公フェードルの命懸けの面倒くささ。(と一言で言ってしまうと語弊がありますが、ネタバレ回避のためあえて)
自分で自分の大事な細胞を攻撃してしまう、自己免疫疾患にかかったかのような恋愛の泥沼はきっと少なからず多くの女性(あるいは男性)の共感を得られるような気がします。
共感したりうんざりしたりいとおしく感じたり、自分のしょっぱい感情と重なって恥ずかしくなったり、
登場人物の目を通して自分の内面が揺さぶられるお芝居でした。

奥行きのあるステージで高低、遠近を使って二人の人物が対峙するシーンがうっとりするほど美しかった。

実は、18年くらい?前にセゾン劇場でフェードルを見たことがあるのですが海外の劇団で悲嘆する感情ばかりが強くて、フェードルが終始叫んでいる演出に、理解しにくいお芝居だなぁという感想でしたが、今回の観劇ですっかり印象が変わりました。


■尾形智子様

お芝居は観ていて 熱が入りました
ドラマに集中し過ぎて 息を止めて観ているような錯覚に陥り 芝居が終わった直後 身体の中に再び酸素が入ったような 気が抜けてしまいました
それだけ 舞台から緊迫感が伝わって来ました

フェードルの ただ ただ好きと言う気持ちを伝えただけなのに それが フェードルの愛する人々を次々に傷つけ 命までも 奪われ
そしてフェードル自身も命を絶つという 観ていて救いのない 悲しいお芝居でした

しかし 王の妻であり 子どもいて 他人から観たら幸せにみえる 彼女が何故このような悲劇になってしまったのか?
王は他の女性に子どもを生ませたり 化けものと戦ったりと 彼女はいつも寂しかったのだろうか?

そこへ かっこいい男性が目の前に現れたら…
義理の息子とはいえ 恋をしてしまうかもしれない
さらに 夫が行方不明となり どうやら死んだらしい…となれば 彼女の秘めた思いは一気に溢れても仕方のないことだと思う

人は自分の都合のいいように物事を考えてしまう
もしかしたら フェードルも 義理の息子イポリットに思いを伝え 2人で 新しい暮らしを考えたのだろうか

しかし客観的に考えでこの恋はとても難しい
もし2人の恋がかなったとしても 王は生きて帰ってくるし 結局は悲劇を招いたろう

フェードルは初めて人を好きになったと言っていた
これもまた悲劇のひとつだと思う
初めての恋 それも夫も子どももいるのだ 愛してはいけない。

そして イポリットを執拗に避け続ける 義理の母に避けられるイポリットはどんな気分だったろう…
父親不在で 義母との暮らしはさぞ苦痛だったろう
それが突然の義母からの告白である 胸中はどんなであるだろう

とまあ色々と考えさせらた

舞台の中に描かれている
嫉妬や憎悪 絶望など 誰もが陥る危険を持っている

だから 観ていてつらいが気持ちもわかり フェードル それはダメと思う反面その気持ちわかるよフェードルと彼女と気持ちが一体化してしまい それで観ていてまるで息を止めて観ているような気分になり 見終わったあと 脱力感と疲労感が残った

なんと言っても一番辛かったのはイポリットの最後である
フェードルに愛されてしまった悲劇 彼は運命を切り開くことは出来なかった
父親ももう少し息子の話を聞いていたら…
本当に悲しかった

色恋はどうしても自分の思い通りにいかないと 苦しく 嫉妬 憎悪 怒りとなるそこを一歩踏み出し 相手を思いやり 慈しみ 相手の幸せを考える
そうすることが出来れば
みな幸せに暮らせることができるのに
なかなか それが出来ないのが人間の悲しいところだ

フェードルの物語と現代劇が同時進行し 台詞が多いフェードルとは対象に 現代劇はほとんど台詞がなく物語が進む
悩み苦しむフェードル

現代の女は現在付き合っている男性と別れたいが
その男性は認めず 彼女の家やってくる

彼女は 若い男に拒絶され愛想をつかした 男は相変わらず家にやってくる
女は あきらめたのか 追い出しもせず ネットで睡眠薬を大量に購入し なべに沢山の薬を入れて 薬を潰している

人生をあきらめてるような悲しいのか 楽しいのか
彼女の気持ちが解らず それは それで恐ろしかった

この物語を さらに面倒にしてしまうのがフェードルのおつきの女性 エノーヌだ
義理の息子に告白され 拒絶され さらに夫が 生きていたと 動揺するフェードルの世話をするエノーヌもたまったものではない
さらに このことで自殺するとまで言い出すのたからそうなるとエノーヌはどうなってしまうのか…

舞台の彼女の台詞の中から想像するに エノーヌは女王のために全てを捧げて生きている
なのでフェードルに死んでほしくないと思ったのですが…

私にはフェードルのためではなく自分のために あのような 嘘を考えたと思う「言葉」によって踊らされると 原田さんが 書いてますが まさにそうですね

フェードルが 発した言葉 そして エノーヌの発した嘘の言葉それにより 悲劇が溢れ フェードルの愛する人は無残な死にかたをしフェードルもエノーヌも自分の言葉によって自殺する

この舞台を観て思ったのは自分を守るため 自分本位で発する言葉は危険で恐ろしいことだ  
自分は助かるが 相手を傷つけ 結果自分をも苦しめることに

言葉は本当に恐ろしい
しかし 逆もあるのではないだろうか
崩壊の言葉ではなく
希望や再生の言葉もあるはずだ

フェードルは義理の息子を愛し苦しいが 心をおおらかにして 同じ自分のこどもたちと同じように愛し
苦しい思いは秘めなくてはいけないが この人といれるだけで幸せと思い 彼が誰かを愛したとしたら その2人の幸せを願うと言う生き方も出来たのではないだろうか

嫁と姑の関係は永遠のテーマと言うが 恋愛もそれ以上にやっかいなものだ

そして禁断の愛は
相手に言葉を発した時から崩壊が始まる

今回の舞台も 考えれば 考えるほど話が広がって
人間の心の闇を描いた舞台でした
役者さんの演技もみなさん 光ってました

これからも観るものに 考えさせられるドラマを期待しています
ありがとうございました
迫力あるいい舞台でした